ここまで、書体選択ありきで話を進めてきましたが、ではなぜ書体を変えて文字を組まなくてはならないのでしょうか。
まず、分類の項で示したように、ある用途によってそれにふさわしい文字を選ぶということがあるでしょう。遠くから見る必要があるサイン書体は見やすいように、手元で長文を読むための文字は読みやすいように、文字の特徴を鑑みて選択します。あるいは、楽しく感じてもらうため、知的に見せたいなど、感情に訴えることも機能のうちでしょう。
機能面からだけではなく、美的な判断で書体を選ぶこともあります。太い文字の方がはっきりして見やすいことはわかっていても、もう少し細い方がきれいだ、などと言って細めの書体を選んだりします。
シニア用の読み物は大きな文字で組みます。視力の衰えへの配慮であれば、太めのゴシック体で組むのが一番読みやすいはずです。しかし、高齢者ほどゴシック体より明朝体を好むものです。理屈で考えれば、いくらウロコが付いているとはいえ、細い横画が見やすいはずもありません。しかし心理的には明朝体の方が読みやすく感じるようです。この場合、慣れや美意識が実際の機能を超えた例だと考えられます。
書体にはさらに内容を指し示す役割があります。たとえば、本文は細明朝体、見出しは太ゴシック、キャプションは中ゴシックで組むとします。そこに、脚註が加わればどうでしょう。本文と同じ細明朝でキャプションと同じ文字サイズで組まれていると、本文ともキャプションとも区別でき、本文に付随する内容であることを示すこともできます。
欧文では、文中の書名や作品名をイタリック体で表記します。和文では重要な語句をボールドにして、それがキーワードであることを知らせます。こういったことは一種の文法ですから、読み手の能力が必要になります。
考えてみれば、タイポグラフィは文章のインタフェースをつくっており、書体選択はそのための重要な役割を担っているのです。
