モリサワ文字文化フォーラム

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フォーラムレポート

第12回 - 文字とデザイン Vol.4

Session1 「やわらかいタイポグラフィ」

─ 杉崎真之助氏 ─

杉崎真之助 氏

最初に登壇された杉崎氏は、グラフィックデザイナーとして、コンピューター(Macintosh)との出会いと日本語の言語と文字の関係など、文字を使う側の話をしようと、スクリーンに古い一枚の学級新聞を映し出した。小学3年生の時、当時はまだコピー機のない時代、ガリ版印刷でご自身が作られたものだった。
「文字組も段組もしている。まさに“マイファーストグラフィックデザイン”がこれですね」と、この頃、印刷されたい願望が大きくて、漫画家になりたかったのだと話された。続いて初期の作品として、公共広告機構の新聞広告を紹介された。紙面には“親父は 背中で 叱ってくれた”とあり、これは活字を複写して組み合わせてデザインしたものだと説明され、もう一点、写研のYSEMという書体を使ったものだと、カネテツの広告を紹介し、級数表なるものを取り出し、スクリーンにも映された。

アナログ時代を経験している人には見覚えのあるものだろうが、会場の若い世代には全くわからないもの。軽く説明をした後、杉崎氏は、なにやら実演をすると言う。ツイーザー(ピンセット)、カッター、三角定規を用意し、今は写植がないので印画紙の代わりになるものとして、“リュウミン”のRをベタ打ちした出力紙で、いわゆる切り貼りを始めた。スクリーンにその手元が映し出される。三角定規を使い、平行にカッターを入れ、製版で影が出ないようにと次は斜めに刃を入れ、切り取り、ツメツメに…。思わず杉崎氏の口から「デザインって料理だな~」とこぼれる。昔からやっている者にとっては、なんということはないことだが、最近はこれがウケるということがはっきりしたという杉崎氏に、同世代の方々からだろうか、小さな笑いが起こった。

人は印刷されたものを目にするのであって、その向こうにある、活字が組まれた金属の塊や写植の組版などを見ることはない。「それらを意識することの大事さを、こうやって頭と手の両方をセットとして使うこと、この行為の中で字間、書体、手触りを感じながらデザインと一体化していくことから強く感じる。これがグラフィックデザインだ」と語る杉崎氏。

グラフィックデザインというのは、基本的な形を使う。その基本的な形を使うために、均一な線を描けるようになるには、技術的にトレーニングを重ねなければならなかった。そこにコンピューターが現れた。白黒のMacintosh SEだ。敵だと思っていたコンピューターは白い画面に黒い文字。「これは紙に文字と同じ。だとしたらデザイナーの味方なのでは?」と思った杉崎氏は、コンピューターをいかに自分のものにするかという挑戦を始める。均一な線、均一な形、これらがトレーニングや技術を必要とせず一瞬にしてできてしまう。一万倍速くなった。ここ が面白くて、点、線、面…と、いろいろと実験をしてみたそうだ。もちろん、コンピューターによって文字の扱い方も劇的に変化し、書体もどんどん増えた。スクリーンには杉崎氏が「文字の織物」と言う、実験作品がどんどん映し出されていく。文字の形だけを抽出し重ねていくと、意味、音が消えていくが、形は残る。デジタルだからこそできる実験。文字を読めなくして美しさだけを残そうというような作品、文字を重ねるという作品の数々が紹介された。身体感覚が大切だと話され、「グラフィックデザインはタイポグラフィに始まりタイポグラフィに終わる」と、言葉に形を与えるのが書体、書体は文字の声、文字組はしゃべり方なのだと続けられた。

では、日本語とデザインはどんなふうに関係しているのか。文字には形があり、音があり、意味がある。日本語は複雑だと、スクリーンに“ドラえもん”の一コマを映し、吹き出しの説明をされた。「漢字はゴシック体で、ひらがなはアンティック体。なぜこうなのか気になりますよね?多くの漫画が同様なことから、これが効果的なんだろうが、当たり前のように漢字とひらがなで組まれているって、おかしくない?」と杉崎氏。資生堂の「一瞬も 一生も 美しく」というコピーをスクリーンに出し、漢字とひらがなが織りなしているすごさだと説明し、道路に書かれた「止まれ」「スクールゾーン」という文字、そして道頓堀の風景の写真とスクリーンが変わり、文字の風景が街の風景で、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット…ごちゃごちゃといろいろある様子に、「このように、いろいろな文字を縦横無尽に使う、ある種ハイブリッドな感覚がデザインにいい意味でも、そうじゃない意味でも反映されているんじゃないか、日本語はわりと自由なんだ」と話された。絵文字と漢字と記号…、カッコひとつをとっても、日本語にはたくさんの種類があるし、ひらがなとカタカナの組み合わせもあれば、さまざまな表現の方法がある。文字から日本語を再発見するのもおもしろいと、文字を使った仕事として、いくつかの事例を紹介された。

そして、今はコンピューターでデザインするのが当たり前で、もう20年以上になるが、その前の15年位はコンピューターなしでやってきたと杉崎氏。両方を知っている世代としてこれらを次の世代へ伝えていきたいと話され、最後に、「デザインには情報のデザインと印象のデザインという二つのテーマがある。情報のデザインは意識されるデザイン。頭に届けるもの、言語化されたもの。印象のデザインは心に届けるもの。場合によっては意識されない。この両方がうまく折り合っていくとコミュニケーションデザインがうまくできていくのではないだろうか」とまとめられ、セッションを終えられた。

Session2 「私の活字(書体)の作り方・考え方」

─ 鳥海 修氏 ─

鳥海 修 氏

今年開催の第2回タイプデザインコンペティションの審査員でもある鳥海氏。「なぜ、審査員を受けているのか…。ぼくはね、書体が好きなんですよ。ただ、そんだけ♪」と、文字を作ることは大変なことだが、どれくらい文字が面白いかということを、学生が作った書体、文字塾、氏が開発した本文(ほんもん)書体、“嵯峨本フォント”という大きく4つの項目に分けて話したいと鳥海氏。柔らかなトーンから生まれる氏の雰囲気の中、セッションが始まり、スクリーンには京都精華大学の学生のつくった書体が映し出された。

「玉石混淆、すべて見せます」と、2007年度の4書体を紹介。学生は古筆を知らないが、授業の中で教えると、突然そこに興味を持って挑戦するというようなことをするので、やはり相当魅力があるのではないかと考える。もっともっとこういう書体が世の中にでていってくれてもいいと話しながら、2008年度の作品8書体を紹介。学生のプレゼンテーションはとても楽しいものらしい。田舎のお母さんが京都に住んでいる自分に小包を送ってきたという設定の書体は、小包を開けると、その書体で組んだ手紙とその書体を使ったパッケージのお酒が入っていて、その手紙を読み始め、みんなが泣きそうになったそうだ。2009年度では、クリームシチューの材料を買ってきて、人参やジャガイモに墨をつけて半紙に書き始めたものがあったそうだ。「俺、それ見て、びっくりしちゃって…。やっぱり人参の方がいいよね~とか言うんですよ」と、会場の笑いを誘い、他の5書体、2010年度の6書体、神社仏閣がテーマの2011年度は5書体、2012年度も5書体、2013年度からは抜粋で9書体。「これはねぇ、びっくりしますよ、ほら、ね、見て~」と一文字一文字が物語のイラストでできあがっているものを拡大して紹介、明朝体の書体には、オーソドックスを狙ったものは難しい。できの良し悪しではなく、そこへ立ち向かっていくその姿勢がOKだとコメントし、「線を探していく過程で、きっと自分とたくさん話していますよ。この経験を積んだことで、そのうち何かとっても重要なことが、何かが生まれてくると、僕は信じています」と鳥海氏。鳥海氏の書体への溢れる思いが会場に拡がり、あっという間に45分が過ぎていた。

文字塾の話は割愛し、capsという会社からの依頼で制作した近代文学、外国文学、女流文学、プロレタリア文学向けの仮名書体のお話へ。氏の文字の作り方は、まず2cmの正方形の中に鉛筆で下書きをする。夏目漱石の「こころ」を読んで作ってくれということで、その作品を読み、その雰囲気でもって書く。自分でくみ取って、自分なりに書く。下書きの後、写巻という筆で一気に書き、はみ出したり、太くなったりしたところは墨やポスターカラーの白で整えていく。だいたいこの大きさである程度文字がわかるような感じまでつめていくそうだ。「筆の返しをとても大事にしています。筆でかくからこそ、この返しがリアルに出るんです」と鳥海氏。次に、48mmに拡大する。写研の時はこれが原字になるので、この時点でアウトラインをきっちりきれいに描かなければならなかったが、今はコピーで拡大した上に、少し線がわかる程度にしか修正していない。これからデータとしてアウトラインをとるので、自分がわかる程度の仕上げをする。そして、アウトラインをとったものをフォント化し、言葉を組み、自然に見えるかどうかを検証する。実際に組んで、何回も試作を繰り返す。近代文学向けの「文麗」は14回。その軌跡を説明した後、リュウミンとの比較をスクリーンに映した。リュウミン(KL)は新しい書体なので現代的な感じで、「文麗」はもっと仮名が小さいのでぱらぱらした印象になるが、その方が漱石の本を読むときはいいんじゃないかと考えたそうだ。外国文学向けの「蒼穹」は、あまり気持ちを込めず、さっぱり処理し、機械的な線で作り、カタカナだけ大きくしたと説明。岩田明朝のオールドはカタカナが小さすぎるのではないかと思うので、売りはカタカナの違いだそうだ。女流文学向けの「流麗」は江戸時代の製版のものや木活字のものなどいろいろ探したが、どれも男の文字にしか見えず、さんざん遡って、やっと見つけた「これは女だ!」という平安、鎌倉時代の頃の坊門の局の書をベースに作ったそうだ。「教科書体と組むと、とってもいい感じになるんですが、明朝体と組むと仮名がなまっぽいというか、そういう気がしました」とコメントし、最初に作ったものをスクリーンに映し、「男っぽいのもいいんですよ。ほら、“せ”とかすっげーカッコいいんですよ。ほら、きゃぁ~」なんて言ってしまう鳥海氏。プロレタリア文学向けの「文勇」は少し秀英っぽい厳しい感じの文字だと紹介して、“嵯峨本フォト”の話へと移った。

「嵯峨本」は江戸時代の初めの木活字で、角倉素庵、本阿弥光悦、俵屋宗達が作ったとされている。フォントで組んだものをスクリーンに映し出し、「とってもきれいです。とってもきれい」と鳥海氏。「こういうことがコンピューターでできてしまうから、万葉仮名ももっと使われるようになってもいいんじゃないかと思うんです。変体仮名、万葉仮名を覚えたり、連綿の処理を覚えたりすることによって、伊勢物語が読めるようになる。そうすると、その時代の豊かさみたいなものがよくわかるんじゃないかと思います」と続けられた。「嵯峨本」の元々が木活字のシステムで、1倍角、2倍角、3倍角、4倍角とあって、横を1000としたときに縦が887という、多少扁平になっている文字を整数倍している。こういうことを研究されたのが奈良女子大の鈴木広光先生で、林進先生ほか何人かがそれをサポートし、そのデータをベースにフォント化したのが“嵯峨本フォント“だと使い方をスクリーン上で説明された。

「文字は楽しいです。誰にでもできます。どんなに真似しても、自分の書体にしか絶対ならない。それは間違いないです。一人ひとりが挑戦してほしい。今しか使えない流行に則した書体というのもありますが、明朝体というものを主として100年以上存在してきた本文書体が日本の文化の礎を築き、支えてきたと思っているので、僕はそれをずっと残していきたい。それで本文書体にこだわっているわけです。地味であればあるほどとっても実は重要です。それがいかに水のような、空気のような文字として受け入れてもらえるかということは、自分の経験と重ね合わせてしか生まれてこないので、自分を磨くことがとても重要になってきます。だからこそ、こういうことに挑戦しながら、一生の制作物として、時々実際の成果を出しながら、ずっと追っかけていくというのもお金のかからない自分の磨き方ではないかと思います。目立たないから絶対賞はとれないなんて思わないで、出してください。僕は見落としません!今回もたくさん出してくださいね。よろしくお願いいたします」と締めくくられた。

Session3 「Inside Paragraphs 欧文タイポグラフィの基本」

─ サイラス・ハイスミス氏 ─

サイラス・ハイスミス 氏

前回のタイプデザインコンペティションでは欧文部門の審査員を務め、第9回のフォーラムにもご登壇いただいたハイスミス氏。1980年代、ロードアイランド・スクール・オブ・デザインでグラフィックデザインを勉強し、現在は教授として、タイポグラフィとレタードローイングを指導している。ロードアイランドの自宅、屋根裏のスタジオ、occupant pressという版画制作スタジオを紹介。版画は自分の描いたイメージがインクと紙が出会ったところでどう変貌するのかが楽しみで、機械的なプロセスや繰り返し反復的なところが好きだと語るハイスミス氏だが、職業はタイプデザイナー。版画は楽しんでやっているだけだと言う。

前回のタイプデザインコンペティションでは欧文部門の審査員を務め、第9回のフォーラムにもご登壇いただいたハイスミス氏。1980年代、ロードアイランド・スクール・オブ・デザインでグラフィックデザインを勉強し、現在は教授として、タイポグラフィとレタードローイングを指導している。ロードアイランドの自宅、屋根裏のスタジオ、occupant pressという版画制作スタジオを紹介。版画は自分の描いたイメージがインクと紙が出会ったところでどう変貌するのかが楽しみで、機械的なプロセスや繰り返し反復的なところが好きだと語るハイスミス氏だが、職業はタイプデザイナー。版画は楽しんでやっているだけだと言う。
18~20歳の頃、グラフィックデザインは魅力的だったと、氏は語る。雑誌に登場するネヴィル・ブロディなどのフォントは他のものとは違い、カッコよく、とても興味をそそられ、これこそが自分の世界だと感じたそうだ。文字を作る、描くというのは非常に興味深い。輪郭を持った文字をデザインするということ。すべてが形についてのこと、すべてが白黒に還元される。レタードローイングを通して、ドローイングの核心に触れた気がしたとも話す。ハイスミス氏は、フォントビューローではシニアデザイナーとして、また、フォントリサーチのチーフでもある。

2012年に来日した際、タイプデザインの基本的な疑問点を追求して考えようと思ったと語り、フォントはどこから生まれるのか?とスクリーンには氏のドローイングが映し出されていく。「秘密の研究所で生まれる」、「巨大な工場で作られる…」、「自然に発生する…」、「洞窟に潜んでいる…」、「深い海底で発見される…」「空からおちてきた…」、「人間の夢や幻覚の中に表れる」、「宇宙人が持ってきた」と、紙芝居のように楽しい絵が続き、ハイスミス氏自身は「庭を掘って見つける」というのがお気に入りだと会場を楽しませた。
「さて、タイプデザインはどこから発想のヒントを得るのか。欧米においてのタイプデザインは、昔の書体をベースにするものと、カリグラフィをベースにするものとの二つがあります」と、真面目な話へ移る。昔の書体を直接モデルにするということは、復刻であって、有限であり、限界がある。批判しているのではないが、新しい書体も類似したものになり、ベースの書体には質の良くないものもある。一方でカリグラフィをベースにするものは、ペンの正しい持ち方、角度、筆順というようなものを学ばなければならない。実際にバランスの良い文字をデザインしようと思うとカリグラフィのいくつかのルールをきちんとおさえておく必要があるため、タイポグラフィをカリグラフィを通して見るというのは、タイプデザインの大変良い出発点だと話し、「私には古い書体もカリグラフィも着想の出発点にはしない、三つ目のやり方がある」とハイスミス氏。まず考えるのは、書体がどのように使われるのか、その“用途”。単に用途だけでなく、その書体の役割を考えるのだそうだ。要するに、ストーリーを語ってくるような書体を作りたいのだと言う。「アーティストが本当にその語らせたいストーリーに注意を払い、自分の技術を踏まえるのであれば、イマジネーションに富んだ、斬新な書体ができると思う。それこそがゴールとする書体。結果的にカリグラフィ的なもの、古いものをベースにしたもののようになることがあってもよい。どちらかのやり方に絞って、制約を設けたくない。書体というのは材料を合わせて、ある特定の表現をするということで、面白い副作用がある。書体は一つの目的に制限されると考えがちだが、一つの目的のためにデザインされても、結果的にはいろいろなことに使えるという予期しなかった作用もある」とハイスミス氏は語り、自身の作った書体を見せよう、と2012年に発表された“serge”という書体が使われた“le jet”という企業の作品をスクリーンに。“serge”は連綿体ではないが同じような役割を果たすという。他に、歴史あるデザインをベースにした非常に保守的な連綿体“novia”、ブライダルマガジンのためのカワイイ“biscotto”、古いロゴをもとに同僚と考えた“loupot”を紹介し、これらはこれまでの書体をもとにしたものだと説明。これらに対し、カリグラフィから学んではいるが、自分自身の頭から浮かび出たアクロバティックなものが“serge”なのだと語る。急に曲線が変わっていたり、方向が変わっていたりして、ほとんどのグリフの中に白い三角があると説明。白い三角を最も大事な一部として文字に意味を持たせる。たとえばO、C、Sとスクリーン上で解説していく。もちろんすべての文字に白い三角をあてはめることはできず、妥協も必要。タイプデザインはバランスが大切だと話し、この“le jet”は想像上のもので実在しない。“serge”という書体を楽しみたくて作ったもののだと明かした。

もう一つの事例として、進行中の書体を「The little bunny」という絵本で紹介。娘のために作った書体、イラストレーションに加え、書体を使って本文に感触を持たせたかったと話し、この書体は前回日本に訪れた時に思いついたのだと、当時写真に撮った街の看板やサインなどを見せながら、日本語のような書体を考えようと思ったわけではなく、フレンドリーな書体にしたかったのだとも話された。「娘は仕事にとって重要な存在になっている」とoccupant pressで作ったアルファベットの本「Apple Bear Cat」を紹介し、タイポグラフィをビジュアルで教えたい、タイポグラフィの漫画本を作りたいと思ったのだという「Inside Paragraphs 欧文タイポグラフィの基本」も紹介。

画家である母からドローイングを学んだという氏は、空間の形、白抜きの部分が平面デザインの重要な部分だと理解し、ネガティブスペースとポジティブスペースはパズルのピースのようなもの。スペースの形の考え方は認知ということだと、ピカソの「思ったものを描く。見たものではない」という言葉を引用された。

スクリーンには80冊を超えるというハイスミス氏のスケッチブックのページが次々と映し出されていく。ハンドライティングは、考えや思考をまとめる手段。脳の視覚的な部分、分析的な脳の使い方ができるのだと画面に合わせて進め、手描きの文字を見ながら「書体はそれぞれの字の調和が大切で、単語としてすっと流れてこないといけない。ある意味、字は簡単に描けるかもしれないが、練習しなければならないし、難しいのは何を書くかを知っていなければならない。正しい形を考えるということが大切で、形を正しく描くということではないんです」と話し、「私は字を描く人であって、読む人でも、書く人でもない。スタジオにいて、とにかく、手になにかドローイングのツールを持っているときが非常に嬉しいんです。私の作品に興味があれば、ウェブサイトをご覧ください。ツイッターもあります。フォローしてくださいね。ありがとうございました」とフォーラムの幕を閉じた。