モリサワ文字文化フォーラム

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フォーラムレポート

第10回 - 和歌に詠まれた四季

2013年6月27日、株式会社モリサワは、第10回モリサワ文字文化フォーラム「和歌に詠まれた四季」を開催いたしました。
モリサワ本社4F大ホールにて130名が参加。冷泉家第25代当主冷泉為人様のご夫人で財団法人冷泉家時雨亭文庫 常務理事、事務局長をお務めの冷泉貴実子様をお招きし、「和歌に詠まれた四季」と題し、四季の美をその源である和歌に尋ね、年中行事と日本の和の美の基本を楽しく学ばせていただきました。

冷泉家は平安時代から3代続けて勅撰撰者となった藤原俊成、定家、為家を祖に持つ和歌の家で、京都にある同家の蔵には800年の長きにわたって守られてきた日本の伝統文化の精髄である勅撰集、私家集(個人の歌集)、歌学書、古記録など国宝・重要文化財が多数収蔵されています。6月23日には天皇、皇后両陛下が冷泉家を訪問され、冷泉家に代々伝わる品々を観賞されたことも話題となっており、その際のお話を冒頭に講演は始まりました。

現在と異なる旧暦の季節

「私たちが今日を6月27日だと認識するようになったのは、明治5年からのことです。それまでは旧暦。旧暦でいうと今日は5月18日頃になります。本日のお話は旧暦が前提となっていることを覚えておいてください」と貴実子氏。昔の暦では1~3月が春、4~6月が夏、7~9月が秋、10~12月が冬。季節を分ける日が節分で、春と夏の節分の翌日が「立夏」、続いて「立秋」「立冬」「立春」というように、年に4回の節分があり、その明くる日から季節が変わるとされてきた。今では3回の節分はなくなり、最後の豆まきをする「節分」だけが残っている。今の2月4日頃が立春。お正月からひと月以上あるが、昔の暦ではお正月と立春は非常に近い関係にあったということ。年賀状に書く「迎春」、「初春」という言葉が残っているように、お正月は春の象徴だったということだ。

「今、2月4日頃が春だと言われても、こんなに寒いのになんで春?と思いはるかもしれません。私たちは寒いから冬、暑いから夏というように気温で季節を感じていますが、昔の人は気温ではなく、日の長さで季節を感じていたのです」と続く。電灯がない時代、夜は暗く、闇の世界というのは人間にはどうしようもなく、死をイメージさせる恐怖の世界だった。そこに射す月の光には「美」を感じ、また大きくなったり、小さくなったりするこの「美」、そして「光」は今思うより、はるかに人間世界を支配するものだったということだ。昔の人は、日が長くなってきたと感じる立春の頃、光が再び戻ってきて、まさに生命の再生をもたらす季節が来たと、喜びを感じたのだという。そして、春が来るとピクニックに出かけ、枯れ木の中に春を感じる緑を見つけ喜んだ。それが永久(とわ)の木の「松」で、この緑に春の女神がいると考え、特に若松を根っこから掘り起こして持ち帰ったそうだ。これを子(ね)の日に引くということからも「根引き(ねびき)の松」といい、門松として飾ったということだ。貴実子氏は用意した18首の歌のまず春の歌から、その解説とそこにある美しい言葉を拾い、お話を進められた。

和歌に詠まれる美しい言葉たち

冷泉貴実子氏

そもそも日本の春の野に花はなかった。春の野にあったのは緑の葉。春の七草というように「若菜」が春の象徴であり、春の喜びであったという。また、春になって降る雪を袖にとまらぬ消える雪、「泡雪」という。なんとも綺麗な言葉だ。そして、春一番に咲くのが梅の花。梅は花も美しいが、匂いも美しく、「梅ヶ香」という言葉がある。梅はその香りで夜でも観賞できたことから、羊羹などでも知られる「夜の梅」という言葉があるのだそうだ。春は「霞」で、これに対し秋は「霧」。春の月は「おぼろ月」、春は霞む、夏は涼しく、秋は澄む、冬は冴ゆると言う。「おぼろな月というのはどの季節にもあるかもしれませんが、おぼろ月というと春の月を思いませんか?これが日本語の豊かさの象徴ではないでしょうか」と貴実子氏。さて、梅の次に咲くのが桜。桜は薄紅(うすくれない)に咲くと言うのだと話され、陰陽道のお話へ。

昔は陰と陽という考え方があり、陽が男性、陰が女性、陽がめでたきもの、数字にも陽数(奇数)と陰数(偶数)があり、特に陽数が重なると良いとされ、お正月、桃の節句、端午の節句、七夕となる。9月9日は重陽(ちょうよう)の節句と言ったそうだ。また、十に上がる前の最高の数字、九が重なることを九重(ここのえ)と言い、これは宮中のことだとも話された。そして、三千年に一度花が咲いて実を結ぶという不老長寿の桃のお話と歌、春の終わりの節会(せちえ)、桃の節句の頃に水辺に出て楽しむ曲水の宴という行事のお話と歌と続き、季節は夏へ。

昔、夏は人が亡くなる季節だったという。卯月、皐月、水無月が夏。「今は旧暦でいう5月中旬。今頃降る雨を五月雨、長く続く雨の合間にぱっと晴れるのが五月晴れです。卯月に咲くから卯の花。白さが美しく目立ったのでしょうか。卯の花に来るのはホトトギスと決まっていたんです。春はうぐいす、夏はホトトギスです」と、夏の歌を解説してくださった。またこの季節は、病を家に入れたくないというので、根菖蒲、ヨモギといった和薬をザルのようなものに入れて吊し、これをくす玉と呼び、また、和歌では菖蒲のことをあやめと言い、これを屋根に置いたり、お風呂に入れたりして、健康を祈る行事としていたそうだ。やがて水無月で夏が終わっていく。6月の最後には「茅(ち)の輪くぐり」という行事がある。昔は苦しい夏を越え、新しい時を迎えるにあたり、今までの汚れを落とし、新しい時に向かうということで、御祓を行っていた。これを夏越の祓い(なこしのはらい)、あるいは水無月の祓えと言う。水の流れに身を浸し、汚れを流すのが御祓だが、茅の輪には霊力があるとされ、これをくぐるのは御祓と同じだと考えられている。冷泉家では、ススキの葉で作った人形で体を祓い、最後に息を吹きかけ、それで流れてもらうそうだ。時をまたぐ行事は必ず夕暮れに行われる。それを詠んだ歌を解説し、秋へ。

今、秋というと寂しい感じがするが、これはヨーロッパの秋、特に北ヨーロッパだと貴実子氏は続ける。京都は夏が非常に苦しいので、秋は待ちこがれる季節、楽しみの季節だった。その最初にやってくるのが七夕。新暦の7月7日は、まさに梅雨のまっただ中でめったに晴れないが、旧暦ではやっと空が晴れ渡る頃。はじめて星が見える時、一年(ひととせ)に一度(ひとたび)の逢瀬、これが七夕の夜。恋というのは恥ずかしいもの、隠すべきものというのが日本の恋の文化だったので、会いに行くのは黄昏頃、人が誰かわからなくなる頃に出かけていくものだったということ。また、陰暦では月の形が日にちで、新月が1日、三日月が3日、十五夜が満月で15日なので、7日は半月。七夕の日は、その半月を御船にして天の川を渡るというなど、和歌の世界ではなんともロマンチックな世界が繰り広げられる。「まさに日本人のバレンタインやと思います。わけわからんとチョコ渡すバレンタインよりか、ええなぁと思うんです」と会場の笑いを誘い、「この物語を伝えていきたいと思います」と七夕の歌を解説。会場は、貴実子氏のはんなりとした口調がもたらす柔らかな空気に包まれ、和歌の世界へどんどん引き込まれていった。

秋こそ美しいというのが日本

野の花という言葉の「野」は秋を指していう言葉だそうだ。春と違い、秋の七草は大きな花。そこに降りる露と露に集まる虫。そして虫が奏でる音楽。「虫の音」の虫は美しい音を奏でる松虫や鈴虫でなくてはならない。秋はまた、月を愛でる季節でもある。7月が初秋、8月が中秋、9月が晩秋。中秋の名月とは8月15日のことで、この日の月こそが最高の月とされる。月を観賞するのは日本人だけの文化だ。そして9月9日の節会がやってくる。この日を象徴するのは菊。「菊慈童」という無実の罪をきせられた美しい少年が菊の露が流れてくる川の水で長寿を保ったという中国の古い物語から、菊は長寿を祝い、めでたい花とされ、菊の花を浮かべたお酒を飲むという行事もあるそうだ。菊は一年の最後に咲く花、最初に咲く梅を花の兄、菊を花の弟、花のとどめとも言うそうだ。そして季節は冬へ。

冬は誰しもが嫌いな季節。訪れてくるのは寂しいことだった。千年もの昔に詠まれた歌を、千年前の言葉を、今を生きる人々が直接理解するということはとてもすごいこと、この国の歴史、文化の継続というものは世界に誇るべきもの。なんとなく、秋の終わりは哀しい。人生の秋とともに並べ、そう感じるのは全ての人に共通すること。本当に鹿の声を聞いたことがあるかというとそうではないのだが、歌を詠むと、鹿の声を聞いたような気がする。これが、日本の文化、日本の和歌なのだと貴実子氏は語る。現代短歌はあなたが何を見たのか、あなたは何を知ったのかというのを五七五の中にまとめるというもの。私は私の自我を、あなたはあなたの自我をここに表しなさいというもので、これは明治維新と共に入ってきた文明開化というものの中、芸術の一分野に位置づけられる。

形の文化によって「美」を感じる

では、明治維新までにあったものは何かというと「芸術」ではなく「美」なのだと貴実子氏。例えば、著名な建築家、安藤忠雄氏の安藤忠雄氏らしい建物は「芸術」として、京都の知恩院の門は、誰が建てたかは知らなくても「美」としての価値を有している。この国には明治維新までの「美」の「ひとつの形」があったということだ。

梅にうぐいす、卯の花にホトトギス、お茶の世界では春には春の道具立て、歌舞伎の世界でも夏には夏の美があり、みんなが嫌いな冬にも「雪」という冬の美がある。それら、「形の美」「形の文化」というのを一生懸命やっているのが京都。たとえばお菓子の上の焼き印を季節に合わせ、変えていく。「お菓子に一声という名をつけ、焼き印がぺっと押してあるのを見て、あぁ、ホトトギスの一声やなと、『ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる』やなぁと思ていただけるかどうか…ということが、教養ということなんでございます」と笑いながら話されると、会場からもなるほどという笑いが。「どうぞ、形の文化というものを思い出してください」と貴実子氏。この国の和という文化の基、形の美によって季節を楽しむということだ。

貴実子氏は、先日両陛下の御幸を仰いだ際に差し上げたお菓子に、「御幸(みゆき)の朝(あした)」という名をつけ、そこに歌を詠まれたそうだ。その一首を披露され、「日本の和の文化を両陛下にご紹介でき、その余韻のさめやらぬところ、ここでお話できたことを大変嬉しく思います」と締めくくられた。

最後に司会者からのモリサワへの歌をお詠みいただきたいというリクエストを受け、一首。『いく年や熱き心を集め来てなに波の都に栄ゆモリサワ』と歌われ、大きな拍手の中、講演は幕を閉じた。

折しも6月22日に富士山が世界文化遺産に登録され、その名を「富士山─信仰の対象と芸術の源泉」とされました。「日本のこころ」「日本の美」という言葉があちらこちらで踊る中、さらに日本人として誇れるものを深く知ることができた今回の講演。美しい言葉、和歌に和の美を学び、当たり前の事に今更ながら「なるほど、そういうことだったのか」と納得し、とても楽しく、有意義な時間となりました。「形の文化」から生まれた「美」。世界に誇れる日本の素晴らしさをもっと学んでいきたいという思いを強く持ちました。第10回という節目の講演を終え、文字文化フォーラムもまた、新たな一歩を踏み出すこととなるでしょう。