モリサワ文字文化フォーラム

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フォーラムレポート

第7回 - 文字とデザイン2012

2012年6月27日、株式会社モリサワは、第7回モリサワ文字文化フォーラム「文字とデザイン2012」を開催いたしました。
モリサワ本社4F大ホールにて200名を超えるご参加をいただき、今回のフォーラムは、ネットとリアルを連動するような独自のデザイン手法を確立し、多くのウェブ制作を手掛ける、株式会社セミトランスペアレント・デザイン代表・田中良治氏、タイポグラフィーを軸に電子メディアのプロジェクト、展覧会などを手掛け、メディア横断的なデザインを推進、多摩美術大学教授でもあるグラフィックデザイナー・永原康史氏、日本デザインセンター代表取締役、武蔵野美術大学教授でもあり、近年は日本の産業の潜在力を世界に提示する仕事に注力されているデザイナー・原研哉氏をお招きし、1時間~1時間半の3つのセッションで構成。当初の募集人数をはるかに超えるご応募をいただき、増席しての開催となりました。

Session1 「インターネットフォント」

田中良治 氏

田中氏のセッションは、2003年に立ち上げた自社名の由来から始まった。社名にある「セミトランス」は半透明を意味し、当時「透明に向かっていくグラフィックデザイン」というのが叫ばれ、パーフェクトであればあるほど透明に消えていくと言われていたことから発想、半透明=未熟という初心表明と、完璧なものへ向かっていくことへの疑いという精神で名付けたものだと説明。今では当たり前になりつつあるが、発足時からグラフィック&ウェブデザイナー、デバイスデベロッパー、プログラマーという3つの職種からなるスタッフで、ネットとリアルを連動させるデザイン手法、考え方で多くのサイト制作を手掛けてきた。フィールドは広告が近いが、ウェブのあり方がまだぐらぐらしている中で、どういう広告があるのか…ということを色々考えながらやっているのだと、仕事の紹介へと進んでいく。

CDジャケット、写真集、チラシ、ポスターなどの事例からウェブ制作の話題へ。 葛西薫氏がロゴをデザインしたという「ANDO GALLERY 」は、普通に作っているが、葛西さん的な間の取り方をウェブにうまくはめ込めないかと考えたもの。当時ウェブが嫌いだった葛西氏がウェブに理解を示してくれるようになったきっかけの作品であるという裏話も披露。そして「アートユニットNelhol」のサイトは、等倍でみるとよくわからない「彫る」という作品をできる限り高解像度で見せるというもの。Google Earthのようなアルゴリズムを利用し、肉眼よりもよく見えるものということで、ウェブで見る意味をもたせることができた作品。彫るというやり直しがきかない作品づくり、「Comand+z」のきかない世界であることを細かな仕掛けで表現するなど、実際にサイトにアクセスし、会場を楽しませた。また田中氏は、経過とともに変わっていくもの、時間軸を意識しながらグラフィックを考えていくと話し、twitter、Facebookと連動させた「TAKEO PAPER SHOW 2011」を紹介。時間が経つと流れてしまうつぶやきをサイト上に残す仕組みや、3.11の影響で当初予定していた大会場での開催ができず、本屋さんと連動したという、いくつものサテライト展示場という形でのイベント開催、ウェブをその告知場所として利用し、また竹尾本社でのシェアシェルフというイベントでは、本棚の本を来場者が交換していく様子をウェブカメラでおさえ、公開するなど、ネットとリアルの連動を具体的に紹介。

田中氏は日頃モニターでデザインしているが、印刷物は3Dというか、インクの盛りでも違う、印刷物の持つ説得力にはかなわないと話し、モニターはフラットで、そこにものの質感やオーラというものはない。だが「メディアが変わると書体の考え方も変わる。ウェブでしかできない書体をつくりたいと考えた」とフォントの話へ。まず、グラフィックに重要な要素である「書体」とグラフィックにない要素「時間軸」を組み合わせた書体“tFontプロジェクト”の紹介から。tはtime lineを意味するもので、書体のアウトラインを光のつぶで表現するというもの。1秒間かけて描いているので、シャッター速度を1秒に設定し、カメラでおさえると文字として読めるということ。ただこの文字の表情は写真の撮り方で全く変わる。三脚を立て、カメラを固定してシャッターを切るとビシッとした文字になり、手持ちで手ぶれなどすると文字も歪む。受け手によって改編される文字。完成型が見えないところがインターネットぽいと話す。これをしっかりインスタレーションしたいと思い、2008年のインターコミュニケーションセンター(ICC)での展覧会に至る。翌年は、時間軸と書体というものをもう少し掘り下げてみないかということで、逆の発想「フォントをもった時間軸」という“Ftime”を発表。山口情報芸術センター(YCAM)にて、ターンテーブルを使い、音楽の代わりに書体が流れるという展覧会を開催した。レコード盤の外側から内側へ、スクリーンにはaからzへと文字が流れ、こすればこするほど文字が崩れていく。みんなが体験すればするほどレコード盤は傷つき、書体も崩れていくという仕組みだ。時間に応じて作品も変わっていく、作りながらの展示で結果が見えない実験的なものだったと振り返る。この時のアーカイブをベースに一週間限定で、デザインが崩れていくTシャツ販売するEサイトとそのイベントも紹介。さらに視線を検出できるシステムを使って書体を作ったという“eyeFont”。視線をコントロールするのは難しく、ツールが変わってしまうので大人と子どもの差がなく、みんな一様に下手だったのがおもしろかったと紹介した。

現在、“Breakout Font”というブロック崩しのアルゴリズムを使った書体を手掛けていると紹介し、紙に見出す美しさとモニターに見出す美しさは違うのではないかと考える自分を勇気づける人として、まだ印刷の時代にスクリーンに向いた書体を作ったデザイナー、オランダの巨匠・Wim Crowel氏を紹介。ふわーっとした話をうまくまとめられないかと考えていた時にドミニク・チェン氏のwitterから得たという、デュシャのインタビューでの回答を引用。インターネットで価値が生まれるというのは作品に限らず起こっていること。ネットとリアルのボーダーがなくなっていると言われているが、作り手と使い手というところも揺らいでいき、ボーダーがなくなっていくと思っている。メディアが変わり見え方が変わってくると、心理的なもの、それまで見えなかったものが可視化されていく。書体を通してインターネットのカルチャーやメディア特性を提示していければと考え、展示活動を行っている。新しいことをしているという感覚はない。キャンペーンがあるとtwitterと連動させるなど、テクニカルに処理されがちだが、テクニックにはめていくのではなく、目的に応じてどういったネットワークを使っていくのかが重要だと考え、その思考実験のためにも一連の作品づくりが役に立っていると締めくくられた。

Session2 「日本語のデザイン、その後」

永原康史 氏

大阪・阿倍野の出身である永原氏は、付近を懐かしいと語り、今回のフォーラムのチラシと看板のデザインを依頼され「嫌だって言ったんだけど…」と会場の笑いを誘い、今回のチラシを解説。三人の名前を中心に重ね、見る方向によって変わって見える、天地のないチラシ。「文字とデザインになったでしょうか?」と会場への問いかけからセッションを始めた。

教鞭を執り始めて2年後、まだコンピュータを使ってデザインをすること教えている人がおらず、書いたのが「デザイン・ウィズ・コンピュータ」。グラフィックデザインについて、字、図、写真、図版、形と色、ピクセルやデジタル画像、インターフェイスやインタラクションというあたりまでは書けたが、文字についてまでは書けなかったと話す。とりこぼした文字について3年後に書いたのが「日本語のデザイン」。デジタルメディアにおける文字について考えるために書いたものだ。ここへ至る経緯は、1998年「本とコンピュータ」に掲載された“どんなメディアでも本は本だ。『ブックテクノロジー』という私の考え方”という記事が始まり。本と本じゃないものの境目は曖昧で、明確な線は引けないものの、誰もが本とはどういうものかという共通認識を持っているようだ。これはなんだろう?と考えた。それは「本を作る技術があって、それを用いているかいないかではないか…」と。そこで『ブックテクノロジー』という造語を作り『ブックテクノロジー』の本を書こうということになったわけだが、デジタルメディアでの書籍というところから入ると、実体のない本というものを語ることになった。それが「デザイン・ウィズ・コンピュータ」ということだ。永原氏はデジタルメディアから文字を考察するという世界を早くから切り開いてきていた。

文字の話を始めるには「識字率」の話をしなくてはいけないと永原氏。言葉をしゃべるというのは人間の本能だが、文字を使うということは本能ではなく学習。勉強しないと文字の読み書きはできない。識字率は、その国、地域の文化度を測るものなので定期的に調査もしている。日本は97%。普通のこととなっているが、世界ではしゃべる言語と読み書きできる言語が一致しないことはよくある。そう考えると、文字を使った表現というのは、非常に狭い知性に向かって行われていることになる。さらに、文字の形や隙間、状態まで読みとれる人は半分もいないだろう。文字にセンシティブな人は100人に一人、1,000人に一人というのが、仕事をしていての実感。永原氏は「ある特定の知性に対して働きかけているというのが文字を使う時の基本的な姿勢で、理解してくれる人にどのようにアプローチするかを考えている」と話された。そして日本語はもともと文字を持たない言語だったと、著書「日本語のデザイン」から、日本の文字の歴史を解説、京都の角倉家が王朝文化の復興を目的に出版事業を起こし、作ったという日本初の活字本「嵯峨本」の話へ。これが日本のデザインの出発点だと考えていると永原氏。そして、漢字が日本に来てから1,000年でひらがなが誕生。それから1,000年経った今、ちょうど文字の変わる時ではないかと考えているとも話す。ではどのように変わるのか。かなを仮名、漢字を真名といい、漢字が本物で、かなは仮のものとされている。ひらがなの歴史は漢字の歴史にあらがってきた歴史であり、破格で、崩れ、傾ぐ文化。かなは性とか美とか芸術美術、歌に用いられ、漢字は政治、思想、宗教を語る時に用いられる。堅い話は漢字で、柔らかい話はかなで…と、昭和の戦前まではそうだった。本を書いてから10年、傾ぐ文化とは何かということを考えている。

永原氏は、フィラデルフィア美術館にて2000年に開催された「本阿弥光悦マルチメディア展示プロジェクト」のために1997年から携わっていたという。日本はアート、デザインの国と捉えられており、例えば茶碗。使うことと鑑賞することが一体となっている。この実用鑑賞型の日本の伝統美術の展示支援をしようということで、レプリカでもなく、昨今のデジタルコンテンツでもない、サロゲートモデル(代用模型)を使って、触れるものを、代わりになるものを使ってつくるという展示手法を実践した。この展覧会が大きなきっかけとなり、2007年からの「嵯峨本プロジェクト」へと至る。日本最初の民間出版・活字本、嵯峨本フォントの制作、筆で書いた文字を修正、アウトライン化して書体にし、文字を復刻、伊勢物語を組むということも行って、木活字で刷られたものからデジタルフォントを制作、そのデジタルファイルから造形を切り出していく技術を使い木活字も作ったという。その実物を持参し、披露。近代では一つの文字は全て同じだが、嵯峨本では同じ「あ」でも、20~30はある。全てを復刻するのは難しいが、少なくとも2、3種類は作ろうということになっているそうだ。デジタル技術があるからこそできること。浪費のようだが、こういうことから何かわかってくることもあるのだと永原氏。

そして嵯峨本フォントの考え方を応用した「フィンガーフォント」の話へ。一つの字で全てを代用するのではなく、もっと人間の手に近い文字が必要になってくると考え、ひとつ一つの言葉に対応した字の形を出していくというコンピュータならできること。「フィンガーフォント」は漢字を従属したかな書体。iPadのiFontMakerを使い指で書いた文字をTruetypeフォントにし、形を整えてフォント化しているそうだ。永原氏は「文字の形に興味はなく、文字の持つ仕組みやシステム、それがどういう役割をしているのかということに興味がある」と語る。前後の文字関係によって字体が決められれる書体、文字を続けて打っていくと文字の形が変わって行く様子を実演、プラグインを使わず、オープンタイプ機能を使ってフォントの技術のみで行っているのだと説明。実は今、発売を待っている状態で、いいのができたと思っていると明した。

最後に「文字はもっともっと拡がる可能性のあるものだと思っている。文字を理解する人を増やしていかないと、文字を使って表現すること、文字そのものを作っていくことが意味のないものになっていく。非常に幼稚なものしか伝えられなくなり、「知」がただ使えればよいという「用」でしかなくなっていくのはまずい」と話し、なんとかそういうことをくい止めたいと開催されている「タイポロジック展」を紹介。そして、「日本語のデザイン」その後。10年かかってようやくできるようになったことを、ここ大阪で初めてお話しできたことを嬉しく思うと結んだ。

Session3 「シンプルとエンプティ」

原研哉 氏

原氏は「EMPTINESS・SIMPLE・DENSITY」という3つの言葉を掲げ、セッションを始めた。まず「EMPTINESS」。自分たちの文化の尾てい骨には「からっぽ」という文化があったんだろうと、日本の自然観から説明された。神様というのは漂泊していてどこにいるかわからないもの。自然の力を使ってコミュニケーションしようとするのだとスクリーンを使いシンプルな絵で解説する。4本の柱を立てると空っぽができあがり、そこにひょとしたら神様が入るかもしれないと考える。空っぽの上に屋根をつけると社になり、鳥居を並べ、簀垣で囲むと神社ができる。空っぽの社を介在して神様とコミュニケーションする。この満たされる可能性、「かもしれない」が重要で、微妙な日本のコミュニケーションの原型を作っているという。

これに対し、西洋では合理主義、モダニズムという「SIMPLE」に寄り添ってものを作ってきた。この概念は150年位前にできあがったと原氏は考えている。強い力を表現する、オーソリティの象徴として作られてきた複雑なもの、インドの青銅器、タージ・マハル、ベルサイユ宮殿、そもそも世界は複雑で大げさで稠密なる力に満ちていたと考えてよいと、原氏。が、社会の仕組みが変わり、世界の中心がひとり一人の人間になり、いかによく生きるかということが重要になると、強いオーソリティは必要なくなり、人間と素材と機能、人間と機能と形というものが最短距離で描かれるようになり、合理性が生まれた。それが150年位前、ちょうど1851年のロンドン万博の頃だ。

さて、日本では、さらに300年位前に下駄や箸を使っているが、これはSIMPLEではないのか?そう、これらは合理性で作られたのではなく、美しいとして作られたものでSIMPLEではない。日本はアジアの東端。90度回転させるとユーラシア大陸の底になる。パチンコ台に例えると、一番下の受け皿に位置し、チンジャラ・チンジャラと何でも入ってくる。日本というのは世界中の影響を受けながらやってきたのだと、笑いを交えて解説する。ある時、遣唐使を止めた頃から日本も悪くないと思うようになり、応仁の乱が終わった頃に「EMPTY」の文化が生まれたと考えていると話し、東山文化、銀閣寺の茶室、禅宗の寺の庭などを写真で紹介。この当時の簡素というのは、単なる「SIMPLE」とは違い、空虚、究極のミニマリズムを携えていると説明した。茶の湯は、からっぽな空間で、わずかな最小限のものから何を読み取るか。どれだけ豊富なイマジネーションを広げられるかというゲーム。茶室はヨーロッパのオペラ劇場とは対局にあるメタフォリックな劇場なのだと。「からっぽを運用していく」満たされる可能性というものを意識化し、戦略的にプランニングできるようになったのが利休の時代で、ここに日本の美学的発想、デザインのルーツがあるとも考えている。

そして、西洋の「SIMPLICITY」とは全く違う価値観として“MUJI”の話へと続く。目的をはっきり持たず、究極の自在性を意図して作っているのが“MUJI”。誰が使ってもフィットする。ラベルもデザインしないデザインを意識し、何もしなくてもできあがるタグの仕組みづくりも行った。これは「EMPTY」であって、日本の美意識資源がたまたま“MUJI”の中にも発露されている。我々は西洋のSIMPLEを学んできたが、それとは違う、グローバルに対抗できるものを、実は僕らは持っているのだと、トレンド、流行をできるだけ避け、距離をおくという“MUJI”のデザインの微妙さを語り、“MUJI”は自分で自分の説明をしてはいけない。相手のイメージを入れてもらうもの。アイコンタクトやあうんの呼吸のようなもので、誤解までも含んでのコミュニケーションというものは今後検証されてもいいのではないかと考えている。

続けて「白金」というお酒のボトルとパッケージ、同じデザインを採用したフランスの香水とパッケージを紹介。できるだけミニマムで何もない方がパワーがあり、何も言わないでどれだけ伝わるのかというところに可能性があると思うと語られた。そして日本の先端繊維をビジュアライズしてほしいと依頼を受けた「TOKYO FIBER '09 SENSE WARE」の様子をスクリーンで紹介しながら、色々な人の才能、技術、クリエーションを掛け合わせてものを作り、メッセージにし発信していくことを「ことのデザイン」と称し、これも大切にしていると、展覧会の作品を紹介。続いて、最近描いたロゴとして、リゾートホテル「二期倶楽部」を紹介。いまだに方眼紙を使っているという原氏。「EMPTINESS」をコンセプトに、西洋のホテルとは全く違う価値観のホテルをつくりたいと考えた時に、しっくりくる書体がなく、書体作りも始めた。できるだけそぎ落とし「エンプティだけどイメージのあるもの」にしたかった。書体は何度も何度も直しながら作っていくものだと思っているので、まだ、うまくはいっていないが、作りながら使い始めていると事例を見せ、意外とホテルのVIは文字でできるのじゃないかと思い始めている。日本は「緻密」「丁寧」「繊細」「簡潔」ということに関しては、抜きん出てベーシックなものができあがっている。日本の美意識資源をフルに運用するサービス業、ホスピタリティに活かすことや、単なる工業製品を作るということではなく、フランスのワイン、ファッション、スイスの時計のように、価値のヒエラルキーを作っていくことも大切だと考えると話す。

最後に「DENSITY」=稠密さへの憧れの話となった。きっかけは北京オリンピックのデザインコンペ。ピクトグラムのひとつ一つを象形文字的なものにし、中国的な稠密さに現代性を入れていくとどうなるかをやってみた、とコンペ作品を紹介した。また、陶磁器の生産地、景徳鎮の景徳御窯のロゴデザインは唐草を現代風に描こうととしたもので、最終は十二支に切り替えて作ったそうだ。

「EMPTY」でも「SIMPLE」でもなく、まさに「DENSITY」。色々な音が混じり合ってシャーンとなるドラの音のようで、その音が鳴ることで世界がしーんとするような感じだと話し、知芸術館の簡体字を使ったロゴ、北京の天安門近くの中心街・大柵欄(Dai Shilar)のロゴと1,5km四方のゾーンのアイデンティー作りを紹介。3次元で実際に描いたという地図のリソースは、バーチャルなデザインからフィジカルなデザインにも活用されている。包装紙、ハンカチ、Tシャツにもなり、捨てられても美しいゴミとしてまでもデザインされている。スマホではストリートビューとして見ることもできる。その他ニット技術を活かした0歳児用の服のブランド、FIRAT FLAGも紹介。日本のデザインとアジア、これまで話してきたデザインと違う感性を持つ中国とどうやって交流していくかが自分の課題で、このような時期にモリサワがタイプデザインコンペティションを開催するというのは非常にタイムリーな企画で、アジアの領域の中でどんなフォントが出てくるのか、とても楽しみだと語る。最後に中国で展覧会の様子を紹介し、西洋の「SIMPLICIT」に対し自分の考える「EMPTINESS」、そこを理解した上でもう一度、アジアの「DENSITY」の世界へ乗り出してみたいという意欲、そして今、そういうものがないまぜになってデザインを作っているという感じなのだと内なる思いを語った。