モリサワ文字文化フォーラム

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フォーラムレポート

第5回 - 文字とデザイン2011

2011年6月18日、株式会社モリサワは、第5回モリサワ文字文化フォーラム「文字とデザイン2011」を開催いたしました。梅雨空の中、モリサワ本社4F大ホールに230余名が参加。今回のフォーラムはブックデザイナーの祖父江慎氏、クリエイティブディレクターの阿部淳也氏、インダストリアルデザイナーの柴田文江氏とグラフィックデザイナーの廣村正彰氏をお招きし、各1時間半の3つのセッションで構成。当初の募集人数をはるかに超えるご応募をいただき、増席しての開催となりました。

Session1 「ぼっちゃんから見る時代によって変わりゆく文字組み」

祖父江慎氏

祖父江慎氏

一般的な装丁の常識を覆す独創的なデザインに定評があり、多くのデザイナーやデザインを学ぶ学生達が憧れの存在として名を挙げるブックデザイナー、コズフィッシュ代表・祖父江氏の趣味は、100年以上にわたって出版され続けている夏目漱石の「坊っちゃん」書籍の“組版ながめ”。そこで今回は、「坊っちゃん」を題材に、本をベースに「文字の組み」がどのように変化したかについて講演いただいた。

デザイナーが「文字の組み」を考える時、この組み方は正しいとか、間違っているとか言われることがあるが、その「正しい、正しくない」というのは、いつの時点で起こったのか?と疑問を持つようになり、調べ始めたのだと、祖父江氏のお話は始まった。

本題に入る前に、日本の活字の歴史について。江戸時代初期に大陸から来たのが銅活字。これで日本の書籍を組むということが行われていたが、当時の日本語は四角ではなく、漢字に対してタテに2倍だったり、3倍だったりしたため、連綿体も取り混ぜながら、日本語には木版が使われていたりしたそうだ。しかし、多くの目的が布教活動にあったため、印刷が禁止され、長期にわたり活字文化が途絶えることになった。後に、江戸時代後半になって木活字が戻ってくる。当時、ひらがなはつながっているもので、一文字ずつ組むというのはカタカナ。これは効率が悪く、木版に彫った方が早いというのであまり普及しなかった。金属活字の普及は明治時代初期、太陽暦に切り替わる頃がポイントとなった。明治初期に出版された福沢諭吉の「学問のススメ」は全17編で、その3編までは木版活字、4編以降は金属活字が用いられている。が、見慣れない金属活字は人気がなく、木版で印刷された、いわゆる海賊版が出回ったそうである。そのことに対して、福沢諭吉が異議を唱えたのが著作権のもとになっている話だそうだ。出版のもとは明治のその頃に始まっていて、とても興味深いと祖父江氏は語る。

その後も、人気に左右され木版活字に戻ったり、カタカナ表記がひらがな表記になったりと、表記についても発達。活字が広まった決定打は明治20年に出た、尋常小学校の教科書だそうだ。
それ以前の明治10年代は、「四角い文字をどう組むか」を試行錯誤していた時代だと祖父江氏は言う。
「坊っちゃん」より少し前に、雑誌「ホトトギス」に発表された漱石の「吾輩は猫である」の1回目では、句読点も整備されていない。2回目には「、」「。」がすみ分けられ、3回目には文章の内容ごとに改行が行われたり、徐々に段落字下げが行われる…というように、当時の「ホトトギス」の組版の流れを見ると、現代に至る組版の試行錯誤がぴったりわかるくらいの年度が明治39年頃、「坊っちゃん」が書かれた年度になるという。

「さぁ、いよいよ見ちゃいますか♪」と、茶目っ気たっぷりな祖父江氏のトーンが上がった。
スクリーンには明治39年に夏目漱石が書いた「坊っちゃん」の手書きの生原稿が映し出され、注目していく箇所「本当の本当の(ルビ:ほんとうのほんまの)」「何故しててゝ。」「がな、もし。」等が説明された。漱石はのっている時は文字が小さくなるという癖があったようで、「坊っちゃん」は小さめに書かれていることから、超スピードで書かれたことがわかるそうだ。そして1906(明治39)年4月、「ホトトギス」に載った最初の「坊っちゃん」の組みが紹介された。祖父江氏が「四分アキ組み」というこの組み方は、文字と文字の間に4分の1スペースを空けてある。これは当時、モダンな組み方だったそうだ。書体は秀英5号。最初から注目する箇所の文字抜けが2箇所。翌年に発刊された単行本の説明では書体についての詳しい話も交え、それぞれの表題、装丁、本のサイズ、出版社の特徴、各時代のルビ、段組みについてや、時代背景、当用漢字、常用漢字の話から日本語の変化等についてまでも、幅広い話題が飛び出し、現在に至るまで、出版順に解説された。その数は50冊を軽く超え、ある作品には「何度見ても飽きない。ワクワクする」という祖父江氏。その知識と蓄積、造詣の深さに、ただただ感嘆するばかりの一時間半。

「書体と組みは似ている。自分の体との慣れ、違和感に対して、読みやすい、いいなと思う。目にする機会が増えることで美しいと認識するようになる。もともと美しいものも、慣れていないからちょっと違和感があるんだということもあるので、デザインする人は文字を初めて見る目で見てほしい」と祖父江氏。「過去には出版社ごとに組みのルールがあったが、最近は同じようなルールになり、少しでも違うと目立つようになったのが気になる。例えば、組みのルールは一つベースがあって、教育ではそれを教え、特に意向のないものはそれで組む。小説やニュアンスの大切なものは書体と同じように、組みも選べ、創作でき、自然になめらかに使える時代がきてほしい」とも語る。

Session2 「ゴールに導くデザイン」

阿部淳也氏

阿部淳也氏

インタラクティブ領域のディレクションを中心に活躍中のクリエイティブディレクター、阿部淳也氏は、自動車メーカーでのユーザーインターフェースエンジニアを経て、 IT部門でデザイナー、ディレクターを経験。その後、都内のプロダクションで多くのWebサイト立ち上げに携わり、2008年にプロダクション「ワンパク」を設立。今、自らの活躍の場を「Web」ではなく「デジタル・インタラクティブ領域」と表現している。

まず自己紹介と会社紹介から。「ワンパク」には文字通り、子どもの頃のワクワク・ドキドキを持ち続けるという“腕白”と“1Package = 1 pack”の2つの意味があるという。会社の理念として「HOT」を掲げ、色々なデバイス、ハードウェアがネットワークに繋がり、リアルに近づいたことで、「リアルとネットの世界が融合することで、相乗効果を生み出す、心を熱くするコミュニケーションを作っていきたい」と語られた。

 

そして宮城県出身である阿部氏は、この度の東日本大震災の被災地支援プロジェクトとして「negau.org」を立ち上げ、子ども向けの物資を調達。子どもたちの笑顔を願うという思いで、リユースできるオリジナルバッグを作り、文具やお菓子などを詰め込み、5月12,13日に1,000個を届けられた。7月末に2回目を予定されているそうだ。段ボールでいっぱいの事務所内、男の子用と女の子用がある「笑顔袋」がスクリーンで紹介された。続いてまだUSTREAMが流行る前の「世界初、オンラインライブすいか割り」、すれ違い通信がキーワードのiPhoneアプリ「TRAVATER」、「ワンパク」3周年記念サイト「Are You HOT?」でのガラガラ抽選のデモなどを紹介し、次のテーマへ。

デジタル・インタラクティブ時代の到来。ライフスタイル、文化、メディアの多様化により、コミュニケーション自体が画一的、一方通行では駄目になり、多彩で双方向的なものでなければならなくなっている。いかに生活者と向き合って関係を作っていくかが重要な時代、いわゆるコミュニケーションデザイン、リレーションシップマネジメント、ソーシャルエンゲージメントが求められる。ではその領域とは。海外では従来の代理店やプロダクションモデルではなく、新たなビジネスモデルへの転換が多く見られる。参考になるモデルとして、ニューヨーク、ロンドン、シンガポールなどにオフィスを構えるデジタルエージェンシー「R/GA」を紹介し、「今、広告代理店やプロダクションは悩んでいる時代だと思う」と、阿部氏はコミュニケーションデザインのポイントへと話を進められた。

まず「誰に」が変化している。メディア、デバイスが多様化している今、デモグラだけでセグメントをきるのではなく、エリア・時間・行動などを踏まえ、しっかりとシナリオを立て、ニーズを抽出した上でセグメントを考えなければならない。そして「どこで」。タッチポイントも多様化していて、Webに限らない。最適なメディア、タッチポイントは何なのか。そしてどういう「体験」を与えるのか。コミュニケーションのクリエイティブは、ユーザーにとってモチベーション、ベネフィットのあるものでなければならない。そして、どう売り上げにつながっていくのかという「目的」も求められる時代。「KPI」(重要業績評価指標)をきちんと設定すること、数値化可能なものはPDCAサイクルで、しっかり測定、評価すること。そしてこれらをクライアントと共有すること、そしてユーザとのリレーションシップをどう築いていくかという部分も考えておく必要がある。Web広告研究会が2010年に「トリプルメディア・トリプルスクリーン」といっているが、ペイドメディア=企業が広告費を払って“買う”メディア。オウンドメディア=自社サイトなど“所有する”メディア。アーンドメディア=SNSやtwitter等といった信用や評判を“得る”ソーシャルサイト等とPC、スマートフォンやフューチャーフォン、PDPなどを、いかにパワーバランスを考えながら、適材適所に使い分けていくかが重要だということだ。

そして「プロセスデザインとツール・メソッド」としてクライアントと共にプロジェクトを成功に導くためのプロジェクト自体のデザインについて。「コンテキストに配慮したコンテンツ」として証券会社の映像コンテンツ。「グローバルブランディング」を視野に入れた事例として“AR”(拡張現実)を活用したアプリケーションの企画から開発までの説明と実演。続いて「デジタルサイネージによるブランディング」として、不動産のエントランスのアプローチデザインの詳細。最後に「デジタルを生き抜くための表現と技術検証」ということで、DNPとのプロジェクト「写心機」「font face to face」、AXIS designの有志とワンパクが立ち上げた、様々な実験的なインタラクションを試みるプロジェクト“Craftive”の作品等、Webの領域を超えたデジタル・インタラクティブ領域のものづくりの事例の紹介で、具体的なノウハウまでをご提示いただき、即実践に役立つ、有益なお話をいただいた。

Session3 「お互いに解っていないプロダクトデザインとグラフィックデザイン」

柴田文江氏 + 廣村正彰氏

柴田文江氏

Design studio S代表、インダストリアルデザイナーの柴田文江氏と廣村デザイン事務所代表、グラフィックデザイナーの廣村正彰氏のお二人には対談形式で。まず廣村氏が「一緒に仕事をした際に、案外、プロダクトデザインのことをよく知らないと思った。お互いにもう少し理解を深めることができたらいいなということで、それぞれの分野の話をしてみようということになった」と。柴田氏は「工業デザイナーがどういうことを考えているかを少し理解していただいて、いずれ何かの足しになれば…と、アウェイに臨んでまいりました」と対談が始まった。

廣村正彰氏

まず最初に柴田氏からJR東日本で展開されている自動販売機の紹介。47インチの大型液晶を使った、マーケティング頭脳を持っているタッチパネル式の自動販売機。年齢と性別を関知し、どういう人がどういう商品を買っているのか、顧客ニーズをリサーチする。使う人にとっては楽しさ、顔認証により色々なことをお薦めしたり、体験を提供してくれるという。そこで廣村氏から「自動販売機って、ある意味必要悪じゃないかと思うのだけど、そういうネガティブなものをデザインするには、どうモチベーションを上げていくの?」という質問が飛んだ。柴田氏は「もともと自動販売機のデザインの依頼ではあったが、駅ナカの飲料はタッチ&ゴーで買うといわれていて、いつもの駅で、いつもの自販機で、買うものも決まっている。置いておくだけで、それなりに利益が上がるが“通り過ぎる駅から集う駅へ”という事業展開の中で、たった120円だが、そこに新たな体験を提供していきたい。どういう豊かさを提供できるかを考えたいというクライアントの意向に賛同した」と答えた。

何もかも新しくなれば良いとは思わない。ロングライフデザインもひとつの正解だし、昔は良かったというモノもある。が、人間は前に進みたいと思うもの。作ることで解決する未来もあるのではないかと考えるという柴田氏に、それはグラフィックも同じで、毎日大量の印刷物が生み出され、それが良くなっているのかというと、メディア的な変革はあっても、デザイン自体はそう進化してはいないと廣村氏。続いて廣村氏の映像作品「Junglin'」が紹介された。「ドア」はドアの内側と外側を撮影。全く別の時間に撮ったものを左右に組み合わせているだけのものだが、無理矢理くっつけることで脳が集中してくるのではないかという「意識」をテーマにした実験作品。なんでも表現できる時代に、テクニックを駆使したすごいことではなく、足元から見つめ直すことの方がデザインの発見があるんじゃないかと解説。1つの画像を順に送るという「カラーバトン」では「廣村さんは立体感のある方。空間も一緒にデザインされているので、映像と場の体験がうまくできている。ぼーっと見ていて、同じ映像を繰り返しているだけなのに、勝手に手渡しているように見ていることに気付き、あっ、やられた!と思うんですよね」とコメント。

続いてオムロンの体温計、血圧計(廣村氏が文字の部分をデザイン)、体重計等、人工物だがなんだかしっとりしたものに仕上がっている「デザインは湿度。感触を大切に、何をよりどころにするかというと、人間の体がどう感じるかというのが正解に近いのではないか」という柴田氏の作品を紹介。「柴田さんってやさしいデザイナーって言われてますよね」と言う廣村氏。

「そうです!人が見て、やさしいねって言うのは、優しさではなく、丁寧に見えるということだと思います。プロダクトって暴力的に大量生産されるものなので、普通にしているとなかなかやさしくならない。私の場合はフリーの立場で量産管理まで行うシステムで最後の仕上がりまでやり込める、インハウス的な立ち回りができることが大きい」と柴田氏。

作品の紹介は続き、「今までのプロダクトデザインはモノのデザインをしてカタチを作っていたが、そもそもカタチではなく、もののあり方を定めているのが仕事」と語る柴田氏に「ちょっとカッコ良すぎない?」と廣村氏。廣村氏の横須賀美術館のサインの紹介では「これ、すっごい好き。無機質なふりをして気持ちが入るというか、廣村さんのは何かが違う。ゆるい感じがいい」と柴田氏が言うと、「何をやろうとしているか、今わかった。『間』ですよ、きっと。グラフィックデザインは結局止まってるけど、間をつくろうとしてるんですね。だからスピードがない。ゆっくりしている」と、ゆるく語る廣村氏に「今気付いたの? カタチも速度で言います。早いカタチとか遅いカタチとか」と柴田氏。「柴田さんは遅いカタチ? んじゃ、似てるね」と、お二人の息の合ったトークは軽快に進み、「プロダクト、デザイン、インテリアの融合」を確立されたという、カプセルホテル「9h」の紹介となった。

カプセルホテルのデザインの依頼があった時、カプセルユニットそのものは物体だけど、ホテル自体はモノではないから、どういう価値を作るかだと考えた。ホテルはどんなホテルでもあるものは全て同じで、全部のグレードがだんだん低くなるという感じ。できあがった価値に対してデザインは勝ち目がないが、そういうものに頼らない、デザインで新しい価値を作れないのかと常々考えていたこともあり、一貫したコンセプトでヒエラルキーを超えたい。そのチャレンジでもあったと言う。廣村さんにお仕事をお願いしたいと思ったのは、無機質な空間にサインによって何か意味が生まれるような気がした。一号店はエッジを立てたデザインをしなければならないと考えていたので、そこに豊かさを加えるのはサインだと思ったからだと柴田氏。プロダクトであり、グラフィックであり、インテリアであるというように、役割分担というより融合してできあがったもの。インテリアデザイナーの中村さんを加え、3人がシームレスに仕事をした結果だという「9h」の紹介は、もののありようを作っていくのがデザインだという大変興味深い事例であった。

廣村氏「以前柴田さんが『他人の良い仕事を見ると絶望する』とおっしゃってたのを聞いて、それ、いいなぁと思ってた。グラフィックでもホントに良い仕事を見るとすごくいいと思うのに、どこかでやってられないという気持ちになる。純粋にリスペクトすればいいじゃないかと思いつつ、自分はいったいなんなんだろうなと思ったりする気持ちをうまい言い方をするなと思ってね」と言うと、「学生の時はこんなことはなかった。単純にリスペクトだけしていたけど、だんだんプロになってから絶望するようになった。例えばプロダクトでも0.2mmの違いは全く違うものになる。その数字に表れるか表れないかの部分を日々やっていて、そういうことを感じられるのはプロだから。プロは本当のプロのことがわかる。違いがわかるようになったからこそ感じることで、近づけば近づくほどゴールが遠いということがわかった」と柴田氏。最後のお二人の言葉は強く印象に残り、常に「次へ」進み続けるお二人のプロフェッショナリティ溢れる対談となった。