モリサワ文字文化フォーラム

ページメニュー

フォーラムレポート

第3回 - ○△□がやって来る

2010年12月10日、株式会社モリサワは、第3回モリサワ文字文化フォーラム「○△□がやって来る」と題したトークショーを開催いたしました。「○△□」とは、○=長友啓典氏(アートディレクター)、△=浅葉克己氏(アートディレクター)、□=青葉益輝氏(アートディレクター)と、コピーライター故眞木準氏によってつけられたネーミング。東京からこの3名をお招きし、モリサワ本社4F大ホールにて220余名が参加。大阪で活躍されている清水柾行氏(アートディレクター)に司会進行を務めていただき、急遽応援に駆けつけてくださった、三氏と親交の深い日暮真三氏(コピーライター)の飛び入り挨拶も交え、短い時間でしたが、非常に有意義なフォーラムとなりました。

「オープニング」

暗転した会場のスクリーンには「○!」「△!」「□!」と各氏が歌う軽快な歌声で始まるミュージッククリップ。日暮氏の作詞された「顔も違えばセンスも違う♪…誰より前を走ってる♪…70、80、はなたれ小僧♪イイぞ!行くぞ!元気だぞ!誰よりキラリ光ってる♪コキ! コキ! コキ!ブラザーズ♪…カワイイじゃないの♪イケてるじゃないの♪不思議じゃないの♪~」というような歌詞。ヒストリー映像とビートの効いたリズムに期待感も高まる中、三氏の登場で、フォーラムは始まりました。

清水柾行氏

デザイナーとしては大先生の方々のお相手を務めることになり、緊張しているという清水氏は、今年古希を迎えられ普通ならお元気でなにより…というような年齢なのに、この方々は今もなお業界の最前線を全力疾走し続ける現役。「○△□」とは、1985年に第1回の合同展を開催して以降、ほぼ10年おきに開催を重ね、今年1月には第4回目を迎えた長寿企画展のタイトルでもあり、オープニングのミュージッククリップは、この企画展の為に作られたもので、じっくり聞くとけっこうイイ歌詞、ジーンとくる歌詞なのだと、日暮氏を紹介されました。

日暮真三氏

大好きな三人がトークショーをやるというので、無理矢理呼んでいただいたのだと言う日暮氏。三人はまず顔が違う、デザインのスタイルも性格も違う。酒の飲み方も違う。何か共通点はないかと考えてみると、例えば長友氏は毎日のブログ、浅葉氏は4,50年続けているADC賞も受賞した日記、青葉氏は日々の生活の中で色々なものを見つけ、デザインの元ネタにする。「きっちりした日常」というバックボーンを持つからこそ、三氏は70歳になっても日々新たなデザインができるのだと思うと話し挨拶とされました。

「デザイン歴50年。70歳の今」

長友啓典氏

まず挨拶に代えて、三氏のデザイナーへの第一歩。この道へ進まれたきっかけから、同窓である桑沢デザイン研究所時代のお話をいただきました。

大阪出身の長友氏はやわらかな関西弁。子どもの頃からモリサワというビルがあるのを知っていたが、桑沢デザイン研究所を卒業し日本デザインセンターに入社して始めてモリサワの実体を知った。面相筆、からすぐち、ロットリング…わけのわからないスピードで変わってきたが、写植の切った貼ったも昨日の事のようだと。学生時代ラグビーばかりやっていて、ラグビーでならどの大学でも行けるということだったが、大学でラグビーをやる気はなく、なんとなく東京へ行き今でいうフリーター生活。その時の下宿先の部屋にあったたくさんの美術書に、今まで出会ったことのない面白さを感じ興味を持った。まだデザイナーという言葉のない頃、図案家から商業デザインへ変わりつつあった時代。ここで目覚めて桑沢へ入学することになったと語られました。

浅葉克己氏

浅葉氏は、まず記念撮影から…と、東京オリンピックの時からずっと撮り続けているというカメラを取り出し、会場の参加者を撮影。世界250地点くらいで撮影しているが写真は全て未発表。ウイスキーと同じで寝かせているのだと会場の笑いも取る。横浜出身の浅葉氏は、毎日海に接していて船乗りになるのが夢だったが、中学時代の恩師が県立神奈川工業高校の図案科を薦め「そこは船のデザインもするよ」と言ったその「デザイン」という新しい言葉に15歳の少年は全身がわなわな震えたのを覚えているそうだ。高校で伝統的なデザインから新しいものまでをじっくり学び、スタインベルグのイラストを模写するなど、イラストばかり書いていてそのスケッチブックの数は100冊くらい。今も手元にあるそうだ。高校卒業後、文字の大家である佐藤敬之輔氏と出会い、イラストレーションをやりたいと思いながらも文字の世界もすごいと思い桑沢へ1年行き、その後5年間文字の設計に入っていった。どのくらいシャープになったら良いかというので、1mmに何本の線が引けるかというのもやっている。だいたい7本は引けるらしい。今は5本くらいかな…と。

青葉益輝氏

青葉氏の学生時代はバスケットボール。高3の時、美術の先生から「バスケットは辞めて、絵描きになれ」とじわじわ言われ続け、多摩美術大学の図案科に通う先輩のパッケージの話からデザインに興味を持った。文字は一文字一文字を手書きしていた時代。ただのベタ貼りでも写植にはかなわねぇよなぁとか言いながら、読売新聞の文字がキレイだというのでゴシック体、明朝体とノートに貼り、ジャズ喫茶で真似して書いていたりもした。桑沢で浅葉氏に出会ってからは何人かの仲間とわざわざ放課後に文字を教わったという時期もある。浅葉氏は酒と文字の先生だそうだ。

「振り返って選ぶ作品、それぞれのデザイン表現とアプローチ」

続いて、自身が選んだ作品を見ながらの対談。
長友氏が選んだのはK2展のポスター。 K2を作ってから14、5年頃のもの。選んだ理由はポスターそのものというより、この時のゲストの素晴らしさ。10日間60組のゲストを迎え毎日トークショー。K2を作って何が良かったかというと、黒田氏が知り合う友人関係で人脈が倍になる。それがすごく面白かった。「人運」の良さというか、行く先々で色々な人に出会い、それぞれ時代を作ってきた人ばかり。それで今があるのだと思っている。この作品は、展覧会の内容というより、ゲストのすごさが思い出。一番飲んでいた時代。一皮むけたきっかけの作品だと紹介された。

浅葉氏は、最初に間欠泉の写真を。友人からの絵はがきのこの写真に、クリエイティブイメージが重なった。地球がエネルギーをため、発射する。ものをつくる時、いつもこんな感じがしていると説明した。そしてキユーピーマヨネーズの野菜のアップ写真。浅葉氏はクリエイティブには「発想の段階」「現場の段階」「定着の段階」と三つの段階があると言う。まず野菜を撮るという発想。日本は野菜の宝庫ということで長野県で14種類くらいの野菜を撮影。ずいぶん撮影はしたが、現場での夜、頭上に上がる花火を見て頭から離れなかった。そこから「クローズアップの写真を撮りたい」となり、4×5の限界というところまでの野菜のクローズアップ写真を撮影するに至ったと説明した。他にサントリーの仕事でのシルクロード、16歳の宮沢りえちゃんを起用した西武のポスターなど、ちょっとした裏話なども交え、紹介してくださった。

青葉氏は東京都のゴミポスター。60年安保の時、東京をキレイにしようというポスターがたくさん貼られていて、それを見ていると「東京を汚くしているのはこのポスターだ」というくらいひどいポスターだったので、頼まれてもいないのにラフスケッチを持って東京都の広報室へ向かった。その時の広報課長がすばらしい人で「確かにあなたの方が良い」と、それから14年、東京都のポスター制作に携わることになったという。デザイン料というものがなかった時代、その報酬の制度など東京六法の書き換えも行い、東京都のポスターを良くしていった。金をかけずにポスターを作ることにかけては世界一だと思うと、いくつかの作品を紹介。最後に長野オリンピックの公式ポスターについて、そのコンセプト、制作秘話、コンペに勝った理由もお話しいただいた。

続いて、長友氏から「藤山寛美さんみたいなデザイナーになりたいと思っていた。ひねって、カーブでストライクをとるみたいな」と、楽しく仕事をするということでFM802のお話を。
青葉氏からは日々の練習、未発表の作品を紹介していただき「人がやったことのないことで、面白ければ良い。上手になろうと思うと、誰かのようにと考える。上手になると誰かに似ていて、もう古い。とてつもなく下手なものを作って上手な人の中に入っていくと長友みたいになる」と、「長友はどんな大企業から頼まれても、友達から頼まれたって感じで答えを出す。浅葉は、必ずプロから頼まれたみたいな、最低でも宣伝部から頼まれたというような答えを出す。僕は、役所から頼まれたという感じで、金をかけないで質素に作る。これを貫かなくちゃいけない」と三者をまとめてくださった。
浅葉氏は、「日常の生活がある。そして言葉の世界。それだけでもすばらしいが、人類は文字の世界を作った。その中から映像を作ったり、組合せたり…デザインの世界が羽ばたいてきたんじゃないかな。‘和魂洋才’という言葉があるが、‘和心漢魂洋才’というのも言われていて、日本人はやさしい心、おもてなしの心なんだ」というお話や、作品のマインドマップの紹介で、いくつかの作品の説明をいただいた。

「50年現役であり続けている者として後進へ贈るメッセージ」

恒例のピンポン球打ち

まだ、若い人たちへという年齢ではないと思っていると言う長友氏は、振り返ってみると、とにかく面白く楽しくやってきた。楽しくやってきたことがうまく伝わっていけば…という思いで、今「クリネタ」という雑誌を作ってみたり、朝日新聞出版から「装丁問答」という本を出したり、イラストも楽しくなってきて「翼の王国」にも描いている。今まで意識していなかったが、いい人と出会って、いまだに色々な人に出会えるというのが幸せ。こうやれば、楽しめるということはなかなか言えないが、デザイナーの目で見てきて色々話せるようになったこと、楽しくやっていると楽しい人が集まってくるのかなと思うとのこと。浅葉氏は、「デザインを通じて日本を元気にしたい」と。青葉氏は「一つの仕事が入ったら、100の仕事が入ったと思って机の上か紙の上で、とにかく失敗をしてください。失敗の数だけいいものができる。あれはやらない方が良かったということは一つも無い。やっておいて良かった。頼まれていないのに、頼まれたふりをして考えた事はたくさんある。練習は、自分の次の成果のため。極力毎日失敗して、失敗すればするほどいい仕事ができるということを肝に銘じておけばいいかと思う」と、さらに「自分で自分に宿題を出せなくなったら職業替えをした方が良い。一生懸命やれば特殊なものになります。普通にやれば一般職。一般職でいくのか、特殊な商売を選ぶのかというのは自分が決めること。特殊に頑張ると特殊な職業になる。この職業の中のどっかこの部分だけ一生懸命やる。そこを満足という言葉で自分で消化していくと必ずいい人生になる」と、説得力のある言葉で締めくくってくださった。

そして、最後の最後は、頭に巻いたはちまきに日の丸の旗を2本差した浅葉氏の音頭で「一本!一本!にっぽん!」と会場全員で手拍子と共に三回唱和、浅葉氏自身が用意していた卓球ボールを会場に打ち込み、大きな拍手の中フォーラムの幕を閉じました。

この第3回文字文化フォーラム開催を記念し、「○△□展」で発表されたポスターの一部がモリサワ本社エントランスホールにて12月6日~20日まで展示されていました。フォーラム後、エントランスには多くの人が残り、作品をご覧になっていました。三氏三様の表現で伝えられたデザインへの思いは、参加者の心に深く刻まれ、明日への指針となったことと思います。