モリサワ文字文化フォーラム

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フォーラムレポート

第2回 - 文字とデザイン2010

2010年4月10日、株式会社モリサワは、第2回モリサワ文字文化フォーラム「文字とデザイン2010」を開催しました。今回、USTREAMでのLIVE中継という新しい試みにも挑戦。タイプデザイナーの世界的な第一人者マシュー・カーター氏と、日本のトップクリエイターを迎え、文字を囲んで語り合う一日となりました。

10:30-12:00 オープニング 基調講演「タイプ・リバイバルのダイナミズム」

マシュー・カーター 特別参加:シマダタモツ

マシュー・カーター氏

世界の新聞・雑誌、AT&T社の電話帳、マイクロソフト社などで使われる書体をデザインしたカーター氏は、「世界で最も多く読まれる人物」と言われる。主なものとしてITC Galliard、Snell Roundhand、Big Caslon、Verdanaなどがある。モリサワとは1990年代に行われた国際タイプフェイスコンテスト モリサワ賞の審査員として関わっていただいたことから、長年に渡り深いつながりがある。

カーター氏はタイプの歴史家であるハリー・カーター氏を父に持った事で、生まれながら文字の世界で育つ。活版文字を作る工場、タイプの美術館、ユニバーシティプレスという、氏にとって3つのタイプの聖地とも言える場所で働く機会を持てたこと、そこで多くのコレクションをじっくり見る機会を得た事が、後の人生を決定するものとなった。

シマダタモツ氏

カーター氏はタイプにノスタルジー的なものを持ち込む気はなく、自分はタイプの歴史家ではないと語る。リバイバルというのは、全く同じものを復刻しようとしているのではなく今を生きるデザイナーとして今の観点から過去の文字を見るのだと。例として、5つのタイプフェイスをピックアップし、写真で示しながら説明をした。

ライノタイプ社での「Snell Roundhand」は、金属活字から写植への時代に新しい自由なスタイルを見つける事への挑戦。「Big Caslon」は、退屈で荒っぽい部分をどうするかが課題であり、18世紀のものではなく19世紀につくられたものをリバイブしたので「リバイバルのリバイバル」と言えるということ。 “Accuracy is not the truth. ” 「正確は真実ではない」。

「Caslon」は色々な人にリバイブされているので、その時代、その場所でどう解釈するかであって、歴史は常に改ざんされていくと考えている。「Caslon」の精神に基づきながらその当時には作られていないもの、今の時代に符合するものを自分で完成させること、自分の解釈を持ち込むということがリバイバルだと考えると述べられた。「Miller」はスコッチローマンをリバイブしたもので、新聞に多く使われている。新聞のテキスト部分に使われる文字は、ファミリーの中でも小さい文字にバラエティが必要。インクの使用料に対応する4つのグレードを用意したそうである。次に、個人的に好きだったバイブルタイプの文字をデジタル化したいと考え「Vincent」と名付けリバイブした。これに週刊誌のNews Weekが興味を持ち、リクエストに応じて用途別にバナー、ヘッドライン、白抜き用など、それぞれの大きさ、プロポーションの違うものを作った。過去の聖書の文字が現代の週刊誌に使われるというのも面白い話である。そして最後は、イェール大学から依頼された2種類の文字。一つは、Web用の文字。いわゆる誰もが使える文字と、もう一つはサイン計画用の文字。イェール大学にはサインがなく、建物に彫られている文字はネオゴシック調の読めない文字であったため、サインには読みやすくわかりやすいローマンタイプの文字を作った。が、大文字と小文字がきちんと読めて、うまく融合するということは、かなりのチャレンジであったそうだ。過去にサインのなかったイェール大学で、今では建物はもちろん、駐車場やゴミ箱まで、氏のタイプフェイスがいたるところで見られるのだ。中でも最近、氏が嬉しく思ったのは、リサイクルボックスについて。近年、リサイクルは注目されているが、タイプもリサイクルされている。タイプは捨ててはいけない。リバイブし再利用するということは、タイプにとっても重要な事だ。タイプを自由にデザインするなら、それは大変かもしれないが、過去の人に批判されることはない。過去を見本にした場合、もともとの人に対する責任が出る。が、それは過去に対しての責任ということではなく、今の先端技術に対しての説明責任であり、リバイバルとは古いものに新しいものを付け加えていく創造という作業であるとも述べた。

そして次の話題へ。2年前にモリサワから「新しい欧文書体を見てほしい」と依頼されたが、それがディーター・ラムス氏の個展の図録のためのものであったことを知り、タイプフェイスの作者自身がそのタイプを図録に使いデザインするということを一人で為し遂げられたのは素晴らしいと感じている。
という紹介で、シマダタモツ氏の登場となった。

シマダタモツ氏は、2008年11月にサントリーミュージアムで開催されたディーター・ラムス展のポスター &図録を手がけた。「世界一キレイな図録にしたい」という依頼で、ラムス氏の作品がシンプルで機能的なだけに、どうすればオリジナリティが出せるのかという点で苦悩し、欧文書体にその思いを活かしたいと考えた。日本人がデザインしたタイプフェイスが海外へということも意識していたが、タイトルやロゴのデザインと違い本文中に使うフォントの制作は経験がなく、簡単に作れると思っていたのは大きな誤算であり、モリサワへ相談することとなった。「ネイティブの方に監修をしてもらうのが良いのでは」というアドバイスにより、カーター氏への依頼へとつながったのである。フォント化には約4ヶ月を費やしたそうである。カーター氏の監修を受けたいくつかの記号文字などを実際にスクリーンに映し、具体的な説明を受け、ジョークも交えながら、和やかなムードの中で終了。シマダ氏は、カーター氏から “Impressive” と評されたこのポスター&図録により、第88回 NY.ADC デザイン部門の GOLD CUBE を受賞した。

13:00-14:00 セッション01 「文字×デザイン×発見の瞬間」

葛西薫氏

GRAPHヘッドデザイナー・北川一成氏と大日本タイポ組合の組合員・秀親氏と塚田哲也氏の二人。そこへ日本を代表するクリエイター・葛西薫氏を迎え、世代を越えてのセッションが始まった。広告やサインなど、街にあふれるデザインのなかで素晴らしい作品、面白い作品に出会う瞬間にデザイナーは何を感じるのか。作品のインスピレーションはどこからくるのかについて語った。まず、大日本タイポ組合の二人がスクリーンに映し出したのは、広告塔がわりのバスのベンチ。文字が組み替えられ、意味がわからなくなってしまっているベンチの写真だった。文字を部品のように入れ替えて遊ぶ面白さ。たとえば学食のソースのボトルに書かれた「ソース」の文字が、ある部分が欠けたり、消えたりすることで変化していく。「言葉として存在しないものが本来の意味と結びついた瞬間が面白い」と語りながら、地下鉄のホームの写真、メガネ屋さん、ビルの壁面、と紹介は続いた。ビルの壁面にはかつてそこに文字があったであろう痕跡が残っている。

北川一成氏

文字をつくる時は重心を意識するものだと思うが、壁面の文字も重心を意識して留める位置を考えなければならないはずであるから、残された文字の形跡からはそれが読みとれるということに着目。DVD屋さんの看板「D」「V」「D」の文字の置き方のバランスにデザイナーが関与してないであろうことを楽しむ。漢和辞典の中に面白い文字や意味を見つけ、日本語やアルファベットなどの文字を解体し組合せ、再構築することによって、新しい文字の概念を探る実践的なタイポグラフィ集団と言われる二人の視点、感覚を垣間見る。そして、北川氏のトークへ。日頃から、「文字ってどういうもん?」と考えるという。文字や言葉というのは、概念化すること、共通認識をつくるもの。

大日本タイポのお二人

概念化するということはどんどん整理されるということで、感覚的な違いを見ることに蓋をしていることになるとも言える。概念化も重要だが、人それぞれが持っている感覚をどこまで出せるか。厳選された素材を使っていてもその調理法が問題であり、良い素材をたくさん持ち寄れば、良い作品ができるということではない。デザイナーが自分独特のもの、直感的、身体的なものをどこまで出せるかが重要であり、概念ばかりに走ると響かないものになる。これを受け葛西氏は「あるスペースの中に何かを置く時、文字や言葉はメンバーとなり、そのメンバーによって位置関係はかわる。そのものの立場になってみて、居心地の良い場所を見つけ、ここにいると気持ち良いんじゃないかと考える」とコメント。北川氏は概念と直感の狭間にこそ創造の源泉があり、「わかる」と「できる」は違い、アウトプットできなければ、直感に自信を持つことはできないと語る。北川氏のデザインに向かう姿勢が伝わる内容となった。最後に大日本タイポ組合の二人の作品の紹介。北川氏の個展の紹介でセッションを終えた。

14:15-15:15 セッション02 「文字×デザイン×メディア作り」

中村勇吾×松本弦人 特別参加:浅葉克己

浅葉克己氏

松本弦人氏は、常にメディアとデザインと人の関係を見続け、その新しい関係性を見いだしてきた。インタラクティブデザインの分野で多くの作品づくりを続ける中村勇吾氏、また、日本を代表するクリエイターである浅葉克己氏を迎え、今後のメディア作りとデザインについてを語った。

iPadなど新しいデバイスが登場する中、文庫本も一つのデバイスだと捉えている松本氏は2007年にWeb本が作れるサイト「BCCKS」を立ち上げ、2010年にONEコインブック「BCCKS文庫」及びその仕組みでのオンデマンド文庫「天然文庫」をスタート。ここに集まっているものは面白いものばかりだという中村氏に、松本氏は「本」というフォーマットが面白いものを集めているのではないかと答えた。また、「天然文庫というネーミングが良いね」という浅葉氏に対し、2010年という10年 = ten nen、これは今までになかった表現だということや、天然な人があつまる場所など、そこに込められたコンセプトを語った。

中村勇吾氏

「BCCKS文庫」にはモリサワ文庫ビュワーが使われており、近い内にiPhoneでも閲覧できるようになる。会場の方々に実際の文庫本を手に取ってもらいながらトークは続いた。天然文庫のオンデマンド印刷には、オイルを使用しないのでテカらない、仕上がりがオフセット印刷に近いということで、モリサワのRISAPRESSが使用されている。中村氏から、新しいデバイスではなく伝統的な文庫本という形態を選んだ理由を尋ねられた松本氏は「唯一人に馴染んでいると思えるのが、伝統的で日本にしかない文庫本ではないかと思う」と語った。「BCCKS」では一年半かけ文庫の代表的な「岩波組み」を目指し、モリサワによる徹底的な文字組みにより、読みやすいものが出来上がったということや、広告での「浅葉組み」についても語る。「BCCKS」は独特のらしさが出ているものを目指しているのか、または、無色透明のユニバーサルなものを目指しているのかという中村氏の質問に松本氏は「特徴ある方向へ向かう必要はあるし、両方ほしい。その狭間のいいバランスを探している」と。

松本弦人氏

最後に中村氏が現在制作中のコンピューター(デバイス)を紹介。「とにかくでかくて明るい」のが特徴だ。映像はそれぞれの手頃なサイズ、長さでの置き場所がなく、日常の中で存在できる映像の置き場所を作りたいと思って始めたものだが、6年の歳月を要し、やっと実現化できる環境になったとのこと。インテリアとして暮らしの中にある映像のこれからの一片を目の当たりにした。

15:30-17:00 クロージング 「僕たちが文字に魅了されるワケ」

マシュー・カーター×浅葉克己×葛西薫 司会進行:宮崎光弘

宮崎光弘氏

クロージングでは、株式会社アクシス取締役宮崎光弘氏を司会進行役に、それぞれに関わりの深いカーター氏、浅葉氏、葛西氏を迎え、文字に魅了され続けるその理由を語った。

まず浅葉氏と葛西氏からは、カーター氏との出会い、午前の基調講演の感想を。浅葉氏はAGI(国際グラフィック連盟)の東京での会議で出会い、後にTDC(東京タイプディレクターズクラブ)をサポート願ったこと、葛西氏は6年前のサントリー社のロゴ改訂の際、ライノタイプ社の小林氏を架け橋に世界に通用するロゴにするために監修をお願いしたことなどを話す。

カーター氏は1988年のAGIの会議で浅葉氏に出会った際の楽しい思い出、以降の関わり、葛西氏についてはサントリー社のロゴのフィニッシュの際の監修作業時の思い出、その際の葛西氏のユーモアのある人柄について語った。実は、今回のフォーラムのポスターは、カーター氏がいくつか言葉を選び、それを葛西氏と浅葉氏がデザインしたもの。カーター氏が選んだ3つの言葉は書体も組みも限定されたアウトライン化したデータで提供されたそうである。カーター氏は選んだフレーズの説明、葛西氏はポスター制作にあたっての考えや進め方、色についてなど、裏話を披露。浅葉氏はフライヤーも制作したため着手が早かったことや、薄墨に凝っているという話、制作にあたってを。また、二人のカーター氏への思いがそれぞれの作品に隠されていることなども語られた。次に葛西氏、浅葉氏からは最近の作品、個展などの紹介や説明、近況を。カーター氏のコメントも織り交ぜながら進行し、本題の「文字に魅了されるワケ」に話題は移る。

浅葉氏はもともとイラストレーターを目指していたのだが、佐藤敬之輔氏に出会ったことで文字の世界の深さを知り、一番美しいと言われる碑文のローマン体を大きく拡大し3年間眺め、分析もした。英字スタイルという本の版下も作った。「僕のテーマは一日に一つの図形を作る。日記をつけること。それから、楷書の名人になりたいと思って毎日書いている」浅葉氏は、ラテン文字も極めたい、そして日本の活字を極めるためには書の力がどうしても必要なのではないかと思い、書の力を入れて新しい漢字のスタイルを作りたいと強く思っている。宮崎氏からの「なぜ楷書なのか」という問いには「楷書が一番活字に近く、読めるもの。デザインに一番近いんじゃないか」と話し、文字と日本語を考える際の必読書『白川静読本』の紹介で締めくくった。

葛西氏は「通知箋」は縦組みの明朝体で組んであったと思うと話し始めた。「縦組みの明朝体を見るのは怖い」怖いんだけど厳かさを感じもし、活字化されるということは責任を負うとか、厳かな気持ちが意識化されるように思い、どこか好きだと語った。新聞でも縦組みで漢字がずらずらっと並んでいるのを見るとゾクゾクしたと。レタリングを学んだのはそれよりも後のことだが、創作文字よりも規格の中に文字を創るということが楽しく、文字は部品、物体という感覚でエンジニア的な作業をすること、文字に触れる時が一番楽しい。文章が苦手だったのが、文字に触れるおかげで、言葉にも魅力を感じるようになり、父に届くハガキの昔の人の言葉づかい、続け文字で読みづらい文字も判読できるようになると嬉しくて、堅い文章も筆跡がともなうとゾクっとし、お年寄りはみんなすごいと憧れてきた。しかし憧れは憧れで、追いかけても追いかけても手が届かない。それと同じで、追いかけても追いかけても届かない、これが文字の魅力なのではないかと思っていると語る。こういった、二人の文字への熱い思いが溢れる言葉に会場は深く聞き入っていた。

カーター氏は「自分を工業デザイナーだと思っている。それは、厳しい規制の中でデザインしていかなければならないからだ。アルファベットは凍結されたものであるから、何千年も厳しい規制の中でデザインし続ける。それがタイプデザイナーの宿命である」と述べ、「その一方、デザイナーとして自分固有のアルファベットの解釈を加えたい、ちょっと変えてみたいという欲望との間を揺れ動く思いもあるが、厳しい規制の中、問題に対して解決方法を得る。これが文字に魅了される理由だろうと思うし、この厳しい条件をクリアしていくことが性に合っているとも思う」と続けた。

「紙以外のメディア、デバイスが新しく登場してくる昨今、文字の変わっていくこと、変わらないことは?」という宮崎氏に対し、「技術が変わればタイプも変わらなければならないと考えてきたかもしれない。初期の段階においては、それぞれの技術に対応した特別なタイプを求められもしてきたが、結局はエンジニアの問題であって、エンジニアに委ねるしかないもの。Webでも初期には使えるタイプは限定されていたが、一年後はどうだろう?より印刷に近づいていくのではないか。新しいデバイスがタイプに影響を与えるかというと、そうだという明らかな証拠はない。新しいものが作られるのではなく、少し前のものが模倣され、クオリティアップしていくということではないだろうか」と答えた。

最後にカーター氏が、基調講演に加えておきたい事として「英語の一節に“Standing on the shoulder of Giants”「巨匠の肩に立つ」という言葉がある。ポイントは巨匠の肩の上に立つということは、巨匠がどんなに背が高くても自分は巨匠より高い位置にいるということだ。15~19世紀にかけての巨匠たちより、私たちは遠くを見る事ができるのだから、この丈の差を大きく活用していく責任というものがある。それはもちろん技術の進歩に因るところが大きいが、少なくとも自分たちにはその責任というものと、それを説明していく、より良い作品を作っていくという義務があるのではないか」と言葉を添え、本セッションは幕を閉じた。

終了後、来場者の皆様にはショールーム・MORISAWA SQUARE、特別企画展:「BCCKS文庫」や、モリサワコレクション、ライブラリーなどにも足をお運びいただきました。長い一日ではありましたが、LIVE中継中にアップされてくるツイートで、リアルタイムの反響を知り、トップクリエイターの方々のお話に文字に関わるものとしての向かうべきところ、その役割の重大さを改めて認識し、モリサワにとっても大変貴重な充実した一日となりました。