モリサワ文字文化フォーラム

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フォーラムレポート

第22回 - 「文字とデザインVol.7 現れるデザイン、気づくデザイン」

2018年2月2日、株式会社モリサワは、第22回モリサワ文字文化フォーラム「文字とデザインVol.7 現れるデザイン、気づくデザイン」を開催いたしました。

 

ゲストはアートディレクターとして、またデザイン教育の現場でもご活躍中のグラフィックデザイナーの勝井三雄氏、三木健氏。お二人の長年に渡る創作活動、歴代の作品の変遷をたどり、現在に至るまでの取組み、発想法や思考法を語っていただく、約3時間の貴重なフォーラムとなりました。

モリサワ本社4F大ホールには、定員を超える約180名の方々にご参加いただきました。

第一部 考え方・作り方・伝え方・学び方 気づきに気づくデザインの発想法 - 三木 健 氏 -

発明や発見の多くが偶然の幸運に出会った時の「気づき」であるように「思考における道草は、一見、合理的でないように思えるがそこに発想のヒントが落ちている」と三木氏。まず、セレンディピティについて話し始める。

 「偶然の幸運に出会う能力」と「無知の知」

ノーベル賞をもらった多くの人が「研究中に出会った“気づき”が発明や発見の手がかりになった」と語るように、三木氏の事務所では「セレンディピティ=偶然の幸運に出会う能力」を磨くためにあるルールが定められている。それは“本箱は整理してはならない”というルールだ。あらゆる物事は整理整頓することが大切である。デザインにおいても同様であるが、発想におけるジャンプ力は、ある気づきをヒントに化学反応を起こすような出会いが重要になってくる。  「探している本が見つからない、本の表題を追う。そのタイトルや偶然開いたページのビジュアルから刺激を受け、思いもよらないアイデアのヒントを見出すことがある。セレンディピティによって、自らの脳を鍛える。そんな偶然性に期待している」と三木氏。うなづく観客。  そして、古代ギリシャの哲学者・ソクラテスの“無知の知(私は知らないということを知っている)”という言葉を背景に「デザインとは何か」を考えていく。「知ってる」とすぐに言う人は学ぶ力のない人。「知らない。知りたい」と思う人は学ぶ力のある人。  

「僕たちは、知覚したことで認識していると誤解している」。英語の「見る」には、seeとlookとwatchがある。seeは、なんとなく見ている状態の知覚。lookやwatchは、しっかり凝視したり、動いている姿をずっと観察する認識。洞察力を持って観察し、よく理解することを認識と呼ぶ。「理解のためには、知らない。知りたいと無垢な心で観察することが重要だ。その中にモノの本質が浮かんでくる。その認識で得た本質に、想像の道草で出会ったセレンディピティを掛け合わせる。そこに発見や発明の手がかりがある」と三木氏。「その喜びをみんなに伝える。すると、何らかのアクションが返ってくる。それをヒントにカタチを作る。それが暮らしに求められていくと、みんなが嬉しくなる。喜びをリレーする。これがデザインの基本姿勢」と熱く語りかける。

「あったらいいな、こんなデザインの学校」と描いた『APPLE』のビジョン

『りんごデザイン研究所』

遡ること五年。大阪芸術大学で教鞭をとることになり三木氏に託されたのは、高校を卒業したばかりの学生たちにデザインの基礎実習を教えることだった。当時を振り返り「不安だった」と三木氏は言う。僕にデザインが教えられるだろうか。デザインの入り口に立ったばかりの一年生に何を教えたらいいのだろうか。ある日、朝食のりんごを食べていて思いついた。りんごとデザイン。好きなモノを掛け合わせると好きの二乗が生まれるのではないか。デザインを初めて学ぶ人にデザインの魅力を伝えてみよう。ちなみに、なぜ、りんごなのかというと禁断の実を食べたアダム&イブ、万有引力を発見したニュートン、音楽で世界を熱狂させたアップルレコードのビートルズ、そしてコンピュータで革命を起こしたApple社のスティーブ・ジョブズというように世界を動かした発明や発見の背景にりんごがあるからだ。りんごという世界中の誰もが知っている果物を通して、デザインの楽しさや奥深さを体験してもらう。授業そのものをデザインする『新しい授業のカタチ』を模索してみる。このプロジェクトの副題につけたのが『世界一の研究者になるために』。一つのことを極めれば何かが見えてくるはず。デザインは、単に『見える化』することじゃない。何かが『見えてくる化』すること。気づきに気づく。そんなデザイン哲学を学生たちと探してみよう。そこで思いついたのが『りんごデザイン研究所』という名の『あったらいいな、こんなデザインの学校』というビジョンを組み立てることだったと三木氏は語る。スライドで紹介される映像は、分かりやすさの設計による絵本のような表現でビジョンが可視化されている。着眼大局、着手小局の思想によるデザイン哲学がワークショップを通して学べる仕組みになっている。

世界が注目するデザインの授業『APPLE』

りんごを題材として「デザインとは何か」と問いかけるデザインの基礎実習『APPLE』は、「気づきに気づく」をコンセプトに15のコンテンツで構成されている。例えば、身体を通して実感するりんご観察は、知ってるつもりのりんごを「いかに知らなかったか」と気づくプログラムである。また、りんご色見本帳は、プロダクト化された全てのモノが誰かの設計によるもので、色であれ、文字であれ、紙であれ、自分の求めるものがなければ「つくり方そのものをデザインすればよい」と気づくプログラムだ。このように『理解→観察→想像→分解→編集→可視化』のプロセスを通して気づきを見つけ出す構造になっている。テーマを正確に『理解』する。既成観念や偏見に捉われ、物事の理由や原因や意味を正しく知らない人が多い。何となくは知っているが、よくは知らない。知らないことを自覚していない。そこで対象をしっかり『観察』する。源を見つめ、関係性を探り、真実を積み上げていく。続いてその情報を元に目的に応じて立体的に思考を組み立てる。それが仮説を立てるという『想像』の行為。そこでは対象と目的を結ぶ内容に必然性が求められてくる。必然性がなければ『分解』し再構築をする。そして『編集』。独自の視点からコンセプトを導き、明解なコンテンツを立て活動の方針を物語化していく。最後に『可視化』。理念を分かりやすく見える化することをデザインという。  この『APPLE』は、英語、中国語、日本語の多国語で出版されている。年内には韓国語での出版も予定されている。そして、大阪芸術大学の図書館内にAPPLEの常設展示と教室を併せ持つ『りんごデザイン研究所』が開設される。『あったらいいな、こんなデザインの学校』というビジョンから5年の歳月を経て実際に可視化されるのだ。

大阪芸術大学に開設される『りんごデザイン研究所』の原型となる
『APPLE+ Learning to Design, Designing to Learn』gggでの展覧会

第二部 私のデザインの始まりは何か - 勝井 三雄 氏 -

デザイナーとして、また教育者としてデザインに携わってきた60年間を、300枚以上のスライドとともに語るという勝井氏。「私は1931年、東京日本橋本石町4丁目で生まれました」と、現在に至る縦軸の起点をこの年に置き、横軸に刻まれた歴史を振り返りながら、自身のデザインのはじまりを探っていく。

 31歳にして建築家・村野藤吾氏と出会い、『村野藤吾1931-1963』のデザインを頼まれた。その作品集の2作目に登場した村野藤吾設計の森五ビルは、図らずも1931年に竣工したものであった。日本に亡命していたドイツの建築家ブルーノ・タウト氏が永遠の傑作だと称賛し、日本建築史においても記念碑的な作品である。勝井氏は「隅田川の花火はこの屋上から見上げ、戦火の中、焼け残ったこのビルに避難したこともあった」と、忘れることのできない思い出深いビルであることに驚いたと話す。その後、1984年までに3巻の作品集を任され、村野氏が93歳で亡くなるまでの付き合いとなった。1931年は、ヨーロッパでは丁度、コルビュジエが有名な初期作サヴォア邸を設計した年であり、東西近代建築を創出した2人は当時、ともに40代初めの青年建築家であった。また、ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルディングの竣工も1931年であり、象徴的な近代建築が勝井氏の誕生と同じ年に建てられたことに、不思議な因縁を感じるところから勝井氏の講演は始まった。

 

デザイナーになる原点を見出した「粋」

 アメリカの影響を強く受けていた18歳の頃、「特に多民族都市としてのニューヨークにとても興味を持っていた」と、出世作のポスター『ニューヨークの人々』を紹介する勝井氏。実は、この頃に重要な出会いがあった。それは、九鬼周造氏の『「いき」の構造』の中に描かれていた六面体の図。「これはまさしく“いき”のダイアグラムだと感じ、非常に惹かれた」と語る。当時、本の内容はよくわかっていなかったと話す勝井氏だが、偶然にものちにこの書との出会いを重ねることとなり、理解を深めていく。また、200年前に出版された『江戸買物獨案内』に江戸の生活のありようを見たとき、内なるものが呼応したと勝井氏。“粋”は自身のアイデンティティーの中にある。「僕がデザイナーになる原点をここに見出した」と語った。

 もう一つ、勝井氏にとって重要なダイアグラムがある。デザイナーとして参加した大阪万博跡地に国立民族学博物館を建てた文化人類学のパイオニアであり、マーク制作を機に長年の付き合いとなった梅棹忠夫氏の『文明の生態史観』の中にあるユーラシア大陸の模式図で、そこには西洋と東洋の間に“中洋”という世界が示されている。粋という精神的なものをカタチにした六面体、民族史に現れるさまざまな問題が起こった地を暗示的に示した模式図。抽象的なものをカタチにするということが、まさしくデザインではないかと勝井氏は述べる。また、1944年に出版されたジョージ・ケペッシュ氏の『Language of Vision』の巻頭言に書かれている“視覚は視るための装置である”という言葉には印象を強くし、ビジュアルデザインはここから走り出したと言われているとも話した。

左:「いき」のダイアグラム(『「いき」の構造』1930年より)
右:『文明の生態史観』のユーラシア大陸の模式図をもとにデザインした説明図
図製作・勝井デザイン事務所

日本初の世界デザイン会議とビジュアルデザイン

 1960年、東京で「今世紀の全体像 デザイナーは未来社会に何を寄与しうるか」をテーマに開催された世界デザイン会議に、30歳に満たないデザイナーとして関わった勝井氏。そこにはバウハウス出身の画家、デザイナー、写真家であるヘルベルト・バイヤー氏が『WORLD GEO-GRAPHIC ATLAS』という1冊の地図帳を携え参加していた。CCA社のオーナー、ウォルター・P・ペプケが語るように「異なる民族と国家のより良い理解」のために制作され、地理的な地図以外に生態図、自然地図、産業、経済といった内容までもが盛り込まれているものだ。バイヤー氏は「ビジュアルコミュニケーションの分野においては、information(伝達内容)に重きをおいてきた。ラテン語のinformationは精神にカタチを与えるということ。ビジュアルデザインの本質はコミュニケーションにある」と言っている。informationの語源であるラテン語のinformationemは精神にカタチを与えるということを意味する。勝井氏は「社会に責任をもつ役割としてのVisual Communicationを提唱するバイヤー氏の基調講演のメッセージは非常に強く伝わった。ビジュアルコミュニケーションの画期的な功績だと考えている」と述べた。

 勝井氏はこの後、印刷はもとより、あらゆる分野で使われるマンセル色環をもとにしたDICカラーガイドを制作し、講談社の百科事典にも取り組むことになる。「読む百科から見る百科に。視覚要素の強い伝達性のあるものに、色の検索機能を付け、全刊統一イメージで」と、まずカラーチャートを作るところから始め、文字、表組み、図解、レイアウト、デザイン基本システムを決め、特に文字を使わず、図版と年表とグラフィックだけで説明する特大項目のページを積極的に作るなど、ビジュアルコミュニケーションを実践した初めての現代百科事典カラー版となった。

左:「DICカラーガイド」(1968年)制作のためのマンセルに基づく色環展開図
右:『現代世界百科大事典』全3巻 講談社 1971年

次々に起こる出来事とDTPの到来

   1988年、Apple社から届いた1通の招待状によりシリコンバレーの本社に呼ばれ、そしてMacintosh II、LaserWriter II NTX-Jの登場。1989年にようやく日本語対応し、欧米に遅れること3年、日本でDTPが立ち上がり、PCが我々の手に入る時代が到来する。勝井氏は、その前の自らに影響を与えてきた歴史を振り返る。

左:飛行機の窓から見た成層圏
右:「APE CALL FROM TOKYO」 1990年

1961年、ジョン・F・ケネディ大統領の言葉は全世界の若者に刺激を与え、その3年後の暗殺のニュースは『世界初の衛星放送』で届いた。米ソ対立による空白の28年間、ベルリン封鎖時だったからこそ飛べた『アンカレッジ経由の北極圏』で見た不思議で美しい世界は強烈に目に焼き付いている。「変化する数秒、数分の非常に豊かな光のバリエーションは、言葉にしようもない美しさ。オーロラの真っ只中を通過するとき、墨絵のような世界に音もなく滑り込んでいくような非常に不思議な体験。これは僕の創造の泉の中に脈々と生きてきた」と語る勝井氏に、光と影を主題とした色鮮やかな作品が目に浮かぶ。1969年7月20日、カレンダー撮影で奈良原一高氏とともに浜松の砂丘で見た月は、まさにアポロ11号が『人類初の月面着陸』をした月だった。その後、かつて見たことのない『地球の出』を初体験した衝撃にあらためて青い地球を意識させられた。翌年の万博では『月の石』が公開された。

 「1960年代から、科学の発達、社会現象と文化のはざまでの多様な共生の中でデザインも生まれ、成長を遂げてきた。第2次世界大戦後から1960年を迎えてデザインの創生期を走り出したといえる。夢が倍増された20世紀初頭には、人間の創造への探求は巨大な宇宙の果てまで、また内なる生態世界まで広がり、DNA解明など未解明のものへのアプローチも果敢に行われた。当時デザインには、一つのハードに共通のソフトではなく元来さまざまな手法からの源流と派生があり、それぞれの個性も持ちやすかったと言える。常に縦軸を、ルーツを意識し、デザインとの因果関係を重視してきた」という勝井氏は、大型コンピュータによる試作を重ねる過程でPCと出会い、発見したデジタルテクスチャーという作品を紹介。大きな拍手のなか、上着を脱ぎ、中に着ていたデジタルテクスチャーと三宅一生とのコラボレーションによる「プリーツ・プリーズ」シリーズのカラフルなベストを作品として披露した。

左、中央:デジタルテクスチャー 1991-2002年 制作・杉本浩
右:「Pleats Please, Issey Miyake: Elfin Light」1997年 operation・太田健太郎
パリ日本文化会館「デザインの世紀」展出品映像作品「ミクロコスモス」(1997年)より

さらに、昨年偶然会ったという日本文学者のドナルド・キーン氏を紹介。東日本大震災を受け、日本に帰化したキーン氏は、18歳の頃、源氏物語の虜となった。彼の著作『日本人の美意識』と、2014年の展覧会で、日本の美意識をテーマに制作したポスター“FUJI-RAINBOW”を紹介。そして、今年のモリサワカレンダーに取り上げられた『源氏物語』について解説した。勝井氏は「今回、『源氏物語』をモリサワカレンダーにすることで、日本の美意識とともに、ひらがなの感情表現によって作られた日本の文学作品が世界初の長編小説として、現在も継承されていることに、改めて強い感銘を受けた」と語り、講演を終えた。

特別対談 「縦組み、横組み」思考 - 勝井 三雄 氏 × 三木 健 氏 -

まず、モリサワのPR誌『たて組ヨコ組』発祥について、勝井氏が発刊にあたっての森澤嘉昭の言葉と数冊を紹介。

勝井氏:1950年代に活版印刷が全盛期末を迎え、1960年代の出版界の主力はオフセット印刷となりました。日本では活版活字に変わる写真植字機が戦後すぐに出現し、1980年にデジタル・レイアウト・スキャナー「レスポンス300」が導入されたことをきっかけに、それまで化学的に処理されていた印刷の製版技術はデジタル時代へと変化します。
1980年代は印刷表現の革命の時代でした。その時代の初めに企画され、1982年、田中一光氏と創刊した『たて組ヨコ組』は、21世紀につながる変化の時代とともに57巻にわたって発行されました。時代に対応するPR誌を一企業が発表したのです。今回の対談のタイトル〈「縦組み、横組み」思考〉は、これに由縁しています。

三木氏:若い頃すごく楽しみにしていて、強い影響を受けた。『たて組ヨコ組』は、表から読んでいくと縦組み、裏から読んでいくと横組みになっていて、中央で丁度重なっていく。いま読んでも決して古くなく、その時代の証言になっている素晴らしい本。このまま1冊の本にまとめて欲しいし、永続的に続いて欲しいと期待を込めて、いま拝見していました。 

左:『たて組ヨコ組』 1983~2002年
右:『たて組ヨコ組』57号 2002年

勝井氏:「コミュニケーションの道具であると同時に、時代を語り、私たちの感性を刺激する文字の世界をより豊かに」という森澤さんの創刊の辞のとおり、そのときどきのニーズに応えバラエティに富んだ内容で、我々にとっても貴重な体験だったと感謝しています。

 

[山城隆一氏 1955年の作品『森・林』、2017年の植原亮輔氏・渡邉良重氏による展覧会『KIGI』の展覧会で見た渡邉氏の作品『ダイヤモンド』を紹介]

左:山城隆一 「森・林」 1954年
右:渡邉良重 「ダイヤモンド」 2015年 (「dropス」より)

勝井氏:山城さんの歴史的な作品『森・林』は、当時の写植や重ね刷りの技法で制作された文字だけによる風景画とも言えます。一方、渡邉さんの『ダイヤモンド』は、『寺山修司少女詩集』の詩「ダイヤモンド」にインスピレーションを受け、文字のイメージをイラストで表現したもの。この2作品から、文字自体の表現が多様な変化を遂げていることがわかります。

 

三木氏:ここで、「日常の仕事」と「APPLE」の関係性を探ってみます。

 

[スクリーンに、自身の足元の写真と『北緯34度41分23秒、東経135度30分44秒』の文字が映し出される]

三木氏:名刺代わりに持ち歩いているカードは、緯度と経度、世界地図が浮き出て、指先でポンと押すと、手のひらに乗るほどの小さな立方体の地球になります。書体は“Bodoni-Book”。here、there、nice to meet you.この3つの言葉で、大好きな人にサインをもらえる。着眼大局・着手小局、全体を見て小さな部分を実践、活躍していくということを常々考え、こんなカードを事務所のツールとして使っています。

 

[会場の観客に手伝ってもらってiPadに入っている15のコンテンツをゲームのように実演]

勝井氏:面白いね。

 

[体験するということはジョン・マエダ氏の見えない世界を可視化するということに通じると、さまざまな例が挙げられる]

 

三木氏:このジョン・マエダ氏の例、ブルーノ・ムナーリ氏、勝井先生のダイアグラム、杉浦康平氏の地図が変形する時間軸の地図、そういったものをいくつも見ていると時代のエポックとなるものがデザインの中にある。それを平たく、分かりやすく組み立ててみようというのが「りんごの見立て」の始まりです。

勝井氏:これを香港で見た時は衝撃を受けた。いま現在、あれから比べるとすごく進歩していて、5年間の進化を強く感じます。

左:「北雪」
中央:「秀英体100雪」
右:「文字の声」

 

[三木氏は「北雪」「秀英体100 雪」「文字の声」のポスターを解説。勝井氏は1998年卒業生の漢字のルーツを表意文字の象形文字でデザインしたポスターを解説]

左:成澤豪 「原初文字之意味及拡張」 1998年度卒業制作
右:同ポスター部分

 

勝井氏:この成澤豪くんのポスターでは、当時の人々をとりまく世界を象形文字によって表現することで、その時代の人々の考える世界像を感じとることができる。デザインによって世界像を視覚化している。
時代や時間の流れが縦軸。あらゆることが縦軸に存在し、横軸が現在の問題をはらんでいると捉えることができる。今日、対話している僕たちは四半世紀も離れた年齢の差から体験はずれていくが、その違いがより一層の刺激になっている。過去から現代への流れの中に、未来を互いに共有できることを見出していく。その背景にあるのは『縦軸と横軸』の思考だと、これが大事な視点だと常に感じています。

そういうことで、今日、この文字文化フォーラムを二人でやるのは面白く、意義があった。僕は三木さんを非常にかっていますので今後ともよろしくお願いします。
と勝井氏の言葉で締めくくられ、対談は終わった。