モリサワ文字文化フォーラム

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モリサワカレンダー『かな語り(国宝「源氏物語絵巻」より)』発行記念

フォーラムレポート

第25回モリサワ文字文化フォーラム 「国宝『源氏物語絵巻』の美」

講演に先立って

満員の参加者が集まる中、講演に先立ち森澤彰彦社長より1984年以来、世界の文字シリーズ、日本の文字シリーズと、今日まで発行を続けるモリサワカレンダーの歴史が紹介されました。また、講演者の名児耶明氏、四辻秀紀氏、そして2年間にわたりカレンダーのアートディレクターを務め、両講師と濃密なコラボレーションを展開した勝井三雄氏への謝意が述べられました。
続いて、聞き手の菅原敦夫氏(DNP アートコミュニケーションズ)よりカレンダー制作時のエピソードなどが紹介されました。モリサワカレンダーは、企業ロゴが表紙と解説ページにしかなく企業カレンダーとしては異例で、広告色が抑えられていることが文化財所蔵者より作品掲載許可を得られる大きな理由になっており、これは、森澤嘉昭相談役の強い意向で続けられていることが明かされました。また、四辻秀紀氏は2001年に始まった日本の文字シリーズのカレンダーで監修を務めて以来協力いただいていること、名児耶明氏は飛び込みで協力をお願いしこれまで名前の記載がない回でも何かとアドバイスをいただいていたことなどが紹介され、両講師との信頼関係の強さが感じられました。さらに、『かな語り』の切り抜き文字は、勝井三雄氏が名児耶明氏、四辻秀紀氏とともに何回もトレースや確認、校正を重ねながら完成させた労作であることが紹介されました。

講演者

第一部 四辻 秀紀氏(徳川美術館学芸部長、「モリサワカレンダー二〇一九」監修・解説)
                       ※2019年4月より名古屋経済大学教授

第二部 名児耶 明氏(五島美術館副館長、「モリサワカレンダー二〇一八」監修・解説)

 

(左)左より、菅原敦夫氏、四辻秀紀氏、名児耶明氏、勝井三雄氏。(右)勝井三雄氏

第一部 美の精華〜国宝「源氏物語絵巻」 四辻 秀紀氏

お姫様が和歌を詠む練習に使った「物語絵」

国宝「源氏物語絵巻」は、紫式部によって11世紀初めに著された『源氏物語』を絵画化したもので、12世紀前半に当時の宮廷で製作され、享受されたと考えられています。『紫式部日記』の寛弘5年(1008)のくだりに『源氏物語』が宮中で読まれていた証拠と考えられる記述があり、それが現存するもっとも古い記録であることから、2008年が「源氏物語千年紀」とされました。「源氏物語千年紀」の記念行事が催されたことはご記憶の方もいらっしゃると思います。
当時からこうした物語は「物語絵」として絵画化され、鑑賞されていたようです。ただし、絵画を所有できるのはごく一部の上層の貴族、あるいは皇族だけでした。それだけ特別なものだったということです。「物語絵」は女性が徒然を慰めるために鑑賞されましたが、もう一つ、お姫様の情操教育、あるいは嫁入りに必要な教養を身につけるために使われました。教養の一つは和歌を詠むことで、物語絵や、ほかに屏風絵、障子絵もありますが、そのさまざまな場面が和歌を詠む練習に利用されたのです。

現存する最古の「源氏絵」と本来の絵巻の姿

『源氏物語』を絵画化した「源氏絵」の中で、現存するもっとも古い「源氏絵」が国宝「源氏物語絵巻」です。絵の場面でいうと、私ども名古屋の徳川美術館に15場面、東京の五島美術館に4場面、合わせて19場面の絵が残されています。
徳川美術館では、この絵巻の修理を続けてきました。徳川美術館は昭和10年(1935)に開館しましたが、その頃、絵巻は一枚ずつ切り離して桐の箱に収め保存されていました。現在、これを後世まで長く保存するために当初の巻物の姿に戻そうとしているところです。昨年12月の展示では、一部ですが詞書(ことばがき)と一枚の絵をつなげた本来の姿を鑑賞していただきました。2020 年の3月には、徳川美術館所蔵の国宝「源氏物語絵巻」のすべてが巻物の形に戻る予定です。

さまざまに楽しまれてきた『源氏物語』

国宝「源氏物語絵巻」は、『源氏物語』の全文を書写したものではありません。物語一帖から1〜3場面を選んでつくられています。それは、当時すでに物語の内容がよく知られるようになっていて、抜粋であっても物語の内容がわかってもらえるという前提でつくられているからだと思います。抜粋であっても現存する『源氏物語』のもっとも古いテキストとして貴重なものです。
『源氏物語』を原文で読むことはむずかしいかもしれませんが、現代語訳は与謝野晶子や谷崎潤一郎、円地文子(えんちふみこ)、瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)、林望(はやしのぞむ)などいろいろな方が出版しています。大和和紀(やまとわき)は『あさきゆめみし』という漫画に描きました。海外でも20カ国ほどで翻訳されています。時代をさかのぼると、柳亭種彦(りゅうていたねひこ)が『源氏物語』を下敷きに『偐紫田舎源氏』(にせむらさきいなかげんじ)を著しました。ほかにも、版本や扇面、白描画(はくびょうが)、貝合せ、香の薫りを当てる源氏香(げんじこう)など、『源氏物語』はさまざまに広がりをみせ楽しまれてきました。

一枚一図で、独特の表現が用いられている国宝「源氏物語絵巻」

国宝「源氏物語絵巻」の絵は、縦が22センチ弱、横は約48センチ前後のタイプと39センチ前後のタイプがあります。これが国宝「信貴山縁起絵巻(しぎさんえんぎえまき)」になると、絵が何メートルもつながっています。しかも、人物の表情、喜怒哀楽がひじょうによく出ています。日本のアニメのルーツともいわれています。これに対して、国宝「源氏物語絵巻」は紙一枚に一図が描かれています。人物の顔も「引目鉤鼻(ひきめかぎはな)」という表現方法で動きがありません。また、「吹抜屋台(ふきぬきやたい)」といって、屋根を取り払い舞台を斜め上からのぞき込むような表現がされています。これが国宝「源氏物語絵巻」の絵の特徴です。

 引目鉤鼻の例

第36帖「柏木三」の光源氏(2019年カレンダー「3月」より)




引目鉤鼻の例
第50帖「東屋一」の浮舟(2019年カレンダー「表紙」より)

絵巻でクローズアップされる、情景に託して和歌が詠まれる場面

2019年カレンダーの1月で取り上げている第44帖「竹河一」です。2017年に京都国立博物館で開催された「国宝展」にも出品した場面です。「源氏物語絵巻」の絵は、19場面残っていますが、どの場面を選んで絵にするかというのはむずかしいことでした。後世、室町時代の後半ぐらいになると、絵を選ぶマニュアルのようなものがつくられるようになりましたが、それ以前は絵巻をプロデュースする人の意図が反映されていたようです。
さて、19場面のうち11場面の詞書には和歌が含まれています。この和歌が大事でした。和歌は、心情を四季の移ろい、景物の中に映して詠いあげていくもので、たんに桜が咲いてきれいだなとか、もみじが色づいて美しいな、というだけのものではありません。その情景に託して心情が詠まれているわけです。
「竹河一」は、中将の君という女房が「すこし色めけ梅の初花(実直すぎるところを少しくずして色めいてみたら)」と詠いかけるのに対して、薫が「よそにみて………したに匂へる花のしづくを(よそ目とは違って、心の内は色香に匂っています)」と応える場面です。それが絵にも描かれていて、大事な場面と考えられていたようです。

2019年カレンダー「1月」(第44帖「竹河一」)

和歌と響き合う絵の情景

2019年カレンダーの9月で取り上げている第50帖「東屋二」です。匂宮(におうのみや)に言い寄られた浮舟が隠れ住む、三条あたりの小さな家を薫が探し当てて訪ねる場面です。この絵からはいろいろなことが読み取れます。傘が見えることで雨が降っていることがわかります。画面の右下には、紫苑(しおん)、女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)、薄(すすき)といった秋草が茂っていて、季節が秋であることがわかります。画面の左上には燭台(しょくだい)があります。これで、「秋の雨の降る日の夜」の場面を表現していることになります。

また、この家は貴族の邸(やしき)ではなく小さな家です。廂(ひさし)が短く縁先も広くないところで待っている薫の袴(はかま)が秋の冷たい雨に濡れています。ということから薫が「あまりほどふる 雨そそきかな(軒の雨だれに濡れて外で待たされている)」と和歌を詠んでいます。なかなか顔を見せてくれない愛しい人を待ちわびている場面です。カレンダーでは、勝井先生が大変ご苦労され、和歌が詠まれる場面をできるだけ使って、和歌の文字を拡大して表現してくださいました。

2019年カレンダー「9月」(第50帖「東屋二」)

多くの情報が盛り込まれた絵

第50帖「東屋二」の絵は、当初の作画プランでは、薫は背筋を伸ばした姿でした。ところがそれでは、愛しい人が近くにいるのになかなか姿を見せてくれないという焦燥感が表せないので、柱に少しうなだれかけ、いらいらしたように手には扇を持たせました。そのように絵を完成させた後、絵の具の上に絵の具を塗り重ねたのでここだけ余計に厚塗りになって、長い年月、開いたり閉じたりしているうちにこすれたりして、ここだけ絵の具がはがれていったのです。
さて、今回のカレンダーは、オリジナルの絵だけではなく復元模写を使っています。復元模写は20年近く前から、五島美術館さんにも入ってもらって取り組んでいます。この取り組みの中で、復元模写を担当された一人の加藤純子さんとの会話の中からもさまざまなことがわかってきました。この絵巻の絵はたんなる絵ではなく、多くの情報が盛り込まれています。

料紙の装飾に込められた意味

2018年カレンダー9月の第40帖「御法(みのり)」を見てみましょう。明石中宮(あかしのちゅうぐう)が病の床にある紫上(むらさきのうえ)を見舞う場面です。文字も料紙も美しい詞書で、縦が22センチ弱、横が24センチぐらいの料紙を5 枚継いでいます。その第一紙、巻頭にはいろいろな装飾がほどこされていて見どころの一つになっています。蝶、みる、巴文(ともえもん)が見えます。蝶は、この世とあの世をつなぐ生きものとしてとらえられています。みるも巴文も、そのような意味をもつモチーフであったといわれています。

2018年カレンダー「9月」(第40帖「御法」)

もともと描かれていたものを解明した科学的調査

第40帖「御法」の絵は、病に伏せる紫上、紫上に育てられた明石中宮、そして光源氏の3人が、萩の葉に宿った露をはかない命にたとえて和歌を詠み交わす場面です。右側は、部屋の中を斜め上からのぞいた角度で描いています。左側は、庭先の秋草の様子です。
20年近く前に、東京国立文化財研究所(現、独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所)と徳川美術館、五島美術館が共同で国宝「源氏物語絵巻」の科学的調査を行いましたが、この場面も調査対象の一つとなりました。その時に初めて古美術品の調査に導入した「可視域内励起光による蛍光撮影法」という舌をかみそうな名前の調査方法があります。警察が指紋検出に使うような機械を初めて文化財に使いました。この調査方法を用いると、もともと描かれていたけれども現在視覚的に見えなくなっている痕跡があれば、それを確認できます。するとこの場面には、多くの萩や薄(すすき)、桔梗(ききょう)が描かれていたことがわかりました。

2018年カレンダー「12月」(第40帖「御法」)

文章では知り得ない当時の様子を伝える絵

第40帖「御法」の絵の右側に描かれているのは、寝殿造りの建物です。簀子(すのこ)や長押(なげし)により廂(ひさし)の間と母屋(もや)があることが表現され、寝殿造りであることがわかります。おそらく、母屋に寝ていた紫上が、明石中宮を迎えるために一段下がった廂の間に控えたということでしょう。これは、『源氏物語』が執筆されてから100年あまり後ですが、執筆当時の生活空間を理解した上で描かれた絵であることを示しています。後世の絵では、ここまで描かれていません。つまりこの絵巻の絵には、言葉として、文章として書かれていることからは知り得ない情報があるということです。それが、この絵の魅力の一つです。

登場人物の心のひだを表現した、味わい深い絵

第40帖「御法」の絵の左側に描かれている秋草の茂る庭ですが、建物の仕切りを途中で取り払い庭の様子をわざわざ見せているのは何のためでしょうか。それは、この3人が詠む和歌の心象を表現するためです。萩の上に宿った露という言葉の意味を、ここに表しています。和歌は、人の心を種として詠まれるものです。和歌を表現した絵によって、物語で語られている人たちの心のひだ、情感までも描き出しているということになります。
「源氏物語絵巻」の絵は静止画でおもしろくないと評する人もいます。しかし、知れば知るほどおもしろい、味わい深いものなのです。

夫婦の間に吹くすき間風を、和歌と絵で描写

2019年カレンダー10月の第49帖「宿木(やどりぎ)三」です。2回ほど切手の絵柄になっていますのでお馴染みかもしれません。身重の中君(なかのきみ)、そして薫と中君との仲を邪推する匂宮が描かれています。匂宮は中君が身重で気分がすぐれないのだからと琵琶をつま弾き、中君はいつまでも恨めしげにしているわけにもいかず、しばし琵琶の音に聴きいります。興味深いのは、詞書にあるように二人の間に几帳(きちょう)が立てかけられていることです。夫婦でありながら、几帳で隔てられています。中君は「秋はつる 野辺の気色(けしき)も しのすすき ほのめく風に つけてこそみれ」と和歌を詠んでいます。
絵の左下には剥落(はくらく)していますが、風になびく秋草が描かれています。カレンダーでは、この部分に復元模写を使っています。絵の右側には、御簾(みす)が少しカーブして描かれています。この場面には「ほのめく風」が吹いていることがわかります。和歌に詠まれた、秋風(飽きる風)が二人の間に吹き込んでいくという中君の寂しい心情を描写しているところです。

2019年カレンダー「10月」(第49帖「宿木三」)

声に出し、聞いて鑑賞した物語

2019年カレンダー表紙に使った第50帖「東屋一」です。匂宮の行いに心を傷つけられた浮舟を不憫(ふびん)に思った中君が、絵を見せながら女房の右近に物語を読ませて慰める場面です。詞書には「右近(うこん)にことは(詞)よ(読)ませてみ(見)たまふに」と書かれています。昔の紙芝居や、子どもに絵本を読み聞かせるようなものです。
「物語」は、光源氏などに仕えた女房たちが見聞きしたことを何年後かに複数集まって、あの時光源氏はあんなことをした、こんなことをしたのよなどと語り合っていくもので、私は、こういう人たちを「物語る女房」と呼んでいます。『源氏物語』をはじめとする作り物語は、女性が古参の女房たちから話を聞くという形ででき上がっています。物語は、古参の女房たちが登場人物の個性に合わせて読み聞かせていたものです。読み手は、女房たちの代弁者だったのです。
当時、物語は、声に出して読み、聞いて鑑賞したものです。いまでも『源氏物語』の朗読会が開かれています。京言葉で読み聞かせる朗読会を開いたこともありました。関西の方は、地元の言葉で、地元のイントネーションで読んでみると雰囲気が伝わると思います。ぜひ、皆さん、声に出して『源氏物語』を読んでみてください。(会場、拍手)

2019年カレンダー「表紙」(第50帖「東屋一」)

第一部と第二部の合間に

第一部が終わると休憩時間に入りました。会場には、パネル仕立ての2018年・2019年カレンダーがひと月ごとに壁に掛けられ、テーブルには「源氏物語絵巻」の復刻版も展示されました。参加者は興味深そうにカレンダーと復刻版の絵を見比べていました。

第二部 国宝「源氏物語絵巻」の趣深い文字 名児耶 明氏

『源氏物語』について知っていることの大切さ

『源氏物語』は、世界中のおよそ20カ国で翻訳されています。日本のことを知りたい海外の知識人は、一般の日本人よりもよく『源氏物語』を知っているのではないかと思います。さて、日本の伝統文化は、ほかの国にないものです。それにも関わらず、読み聞かせる、語って聞かせるという「物語」の意味も現代の若者は知らない人が多い。それは恥ずかしいことです。『源氏物語』について何か一つでも知っていて一言でも話せれば、海外の人と話しをする時に「やっぱり日本人だな」と信頼を得られるはずです。それが、何も話せないと「本当に日本人なの?」と疑問に思われてしまうことでしょう。日本の伝統文化について、一つでも知っていて話せること、それが大切だということをはじめにお話ししておきたいと思います。

紫式部に縁が深い五島美術館

『源氏物語』の作者である紫式部が記したといわれる『紫式部日記』という有名な日記文学があります。この日記が絵巻になって伝わっています。「紫式部日記絵巻」とも「紫式部日記絵詞(えことば)」ともいわれるもので、鎌倉時代につくられたものです。東京国立博物館や大阪の藤田美術館などが所蔵していますが、五島美術館にも3 場面があり国宝です。つまり、五島美術館には「源氏物語絵巻」と「紫式部日記絵巻」の両方があるということで、これは五島美術館だけといえるでしょう。
また、『紫式部日記』には、2008年を「源氏物語千年紀」とする根拠となった寛弘5年(1008)の記述がありますが、それが11月1日であり、「古典の日」とされています。『紫式部日記』のもっとも古い写本が「紫式部日記絵巻」ですが、たまたま五島美術館所蔵の3場面のうちの一つが、この11月1日の場面です。
このように五島美術館は、紫式部と縁が深いということで、「紫式部日記絵巻」だけを集めた展覧会を、紫をシンボルカラーにして開催したことがあります。

かなを生んだ日本人のDNA

かな文字がいつ成立したかというと、基本的には900年ぐらいといわれています。かな文字ができるまでの過程については省略しますが、かな文字が生まれた背景として、日本人の生活環境、日本の気候、風土が大きく関係しています。
まず、中国から漢字が入ってきましたが、最初は篆書体(てんしょたい)、これは左右対称、シンメトリーです。かなは左右対称ではありません。しかも、曲線であることも特徴です。日本で5世紀頃につくられた鏡に書いた漢字が残っていて(国宝「隅田八幡宮人物画像鏡」和歌山・隅田八幡神社蔵)、その中に「中」という漢字があります。この字は少しゆがんでいます。それはなぜなんだろうと、学生時代から疑問でした。そこで、「中」という字として認識できれば、曲線が入っていてもいいじゃないかということではないかと考えました。つまり、日本人にとっては、直線でしゃちほこばった文字よりも、豊かな自然のように周りに溶け込むような形の方が心地よかったのではないか、ということです。

いろいろな文字を整理してまとめられた「かな」

800年代の中頃から900年頃にかけてかなができていきますが、いままでいわれているように漢字がくずされて草書になり、さらに草書が略されて草仮名になり、かなになった、という筋道は、一様にそういうわけにはいかないだろうと考えるようになりました。漢字も万葉仮名も草仮名もかなも共存していた時代があったのだろうと思います。それは、2012年に京都の藤原良相(よしみ)邸宅跡から発見された土器に書かれた文字からもいえると考えています。当時、新聞紙上で「最古級の平仮名が出た」と話題になりましたが、平仮名であれば全部読めるはずなのに、中には読めない文字もあったからです。つまり、さまざまな形の文字が並行して存在していたことを示していると考えています。
これについてこの数年、いろいろな形の文字があったものを、900年頃に整理したということではないかと考えるようになりました。誰かが整理をして、この文字だけ使うことにしましょうと提言すれば、いまのかなに近いものにまとめられるわけです。その象徴が、905年の編纂(へんさん)とされ、漢字・漢文で表記した「真名序」と、かなで表記した「仮名序」をもつ『古今和歌集』だと考えています。

紫式部が賞賛した美しいかな

『古今和歌集』の成立からおよそ100年、ここで紫式部が出てきます。紫式部は、いろいろなことが昔よりも浅はかになっている時代だけれど、かなだけはいまが一番いいですよ、素晴らしいですよと書いています。現在、かなでもっとも美しいとされるのは、『古今和歌集』を書写したもっとも古い遺品であり、1050年頃の作といわれる「高野切(こうやぎれ)古今集」です。私は、現在残っているかなの中に「高野切」より古いかながあるはずだと考えてきました。最近、この考えに自信をもつようになりましたが、実際、1000年頃と科学的に証明されたかなが確認されています。

かなの原点は、自然のバランスを好む日本人の美意識

かなはなぜ、細く、曲線を使って、アシンメトリー(左右非対称)なのか。また、続け字(連綿体)があったり、散らして書いたりするのか。それは、基本的には日本人の美意識だと思います。
かなの古筆に「継色紙」があります。その中に、和歌の上の句を左に、下の句を右に書いたものがあります(〈やまさくら〉兵庫・滴翠美術館蔵)。左を読んでから右に戻って読みますが、日本人ならそれほど違和感がないのではないでしょうか。ふだんからそんなことがあってもおかしくない環境にいるということです。中国の禅僧で水墨画家として名高い牧谿(もっけい)という人がいますが、この牧谿の絵を日本人は好みます。それは、左右非対称を好む日本人の美意識に合っているからだと思います。また、京都・龍安寺など禅寺の石庭の石の配置も左右非対称です。大小の石の配置、石と石の間(ま)の緊張感などから生まれる美が、「継色紙」を好み、牧谿を好む日本人の美意識に合っているといえるでしょう。

絵は人間が描いたものであり、石庭も人間がつくったものですが、それは自然の中にあるものです。自然がつくったバランスを日本人は好むということだと思います。大きさの異なる石が並んだ海岸風景と散らし書きされた「継色紙〈やまさくら〉」(兵庫・滴翠美術館蔵)を重ねてみるとぴったり合うことも、自然がつくったバランスを日本人は好むということを示しています。かなの原点は、自然のバランスを好む日本人の美意識にあって、かなには日本人の美意識がもっとも象徴的に現れているのではないかと思います。

国宝「源氏物語絵巻」の詞書でもっとも美しい世尊寺(せそんじ)様式

「源氏物語絵巻」を2年にわたり取り上げたモリサワカレンダー「かな語り」の1年目は、五島美術館所蔵の作品で構成しました。その詞書の書風は、すべて同じです。2年目、今年のカレンダーは徳川美術館の所蔵作品で4種類の書風があり、そのうち1種類は五島美術館所蔵作品の書風と同じです。つまり、国宝「源氏物語絵巻」の詞書の書風は全部で4種類ということになります。
4種類の中で柏木グループといわれる第一類の「柏木」、「横笛」、「鈴虫」、「夕霧」、「御法」は、絵についてはもっとも実力のある人の手になり、詞書の文字ももっとも美しいといわれています。これが、紫式部が美しいといった時代の文字に近いもので、世尊寺様式と呼ばれています。

国宝「源氏物語絵巻」詞書の書風分類とその特徴

帖 名            書 風
第15帖 「蓬生(よもぎう)」  第二類 典型期のかなの系統 太めで動きが大きい。

第16帖 「関屋」                    第二類
第17帖 「絵合(えあわせ)」  第二類

第36帖 「柏木一」                 第一類 典型期のかな+新風 一字一字をしっかりと作り、
                                                       行間が美しい。
第36帖 「柏木二」                 第一類 
第36帖 「柏木三」                 第一類
第37帖 「横笛」                    第一類
第38帖 「鈴虫一」                 第一類
第38帖 「鈴虫二」                 第一類
第39帖 「夕霧」                    第一類
第40帖 「御法(みのり)」     第一類

第44帖 「竹河一」                  第四類 新風、雅経(教長)風 次の時代の書風。側筆と直筆。
                                                        小字より大きめに書いたものは、まとまりに優れる。
第44帖 「竹河二」                  第四類 
第45帖 「橋姫」                     第四類

第48帖 「早蕨(さわらび)」    第三類 古風と新風 側筆の典型で、行間は散漫に表現する。
第49帖 「宿木(やどりぎ)一」 第三類
第49帖 「宿木二」                   第三類
第49帖 「宿木三」                   第三類
第50帖 「東屋(あずまや)一」 第三類
第50帖 「東屋二」                   第三類

国宝「源氏物語絵巻」四種類の書風例

第一類(2019年カレンダー「7 月」より)

第二類(2019年カレンダー「5月」より)

第三類(2019年カレンダー「9月」より)

第四類(2019年カレンダー「1月」より)

書風からも推定される「源氏物語絵巻」成立の時代

あと3種類は、第二類の寂蓮様式A、第三類の寂蓮様式B、第四類の雅経様式です。第四類の雅経様式、飛鳥井雅経(あすかいまさつね)とされる書風については、近年、雅経の祖父の時代に活躍した藤原教長(のりなが、1109〜1180)を筆者と推定する説が有力になっています。そこで、藤原教長が活躍した時代にこの詞書が書かれたのだと、「源氏物語絵巻」成立の時代を示す根拠の一つになっています。
私は私なりに4種類の書風について、本当にその時代の書風なのか考えました。そして、12世紀の前半ぐらいでないとこの4種類の書風は現れないと結論づけました。

「源氏物語絵巻」の詞書断簡

国宝の「源氏物語絵巻」以外にも、詞書の断簡が伝えられています。このうち、第5帖「若紫」と第6帖「末摘花(すえつむはな)」が、第三類、寂蓮様式Bに分類されています。しかし、それぞれ3行ずつしか残っていませんので、本当に同じ筆者なのか正直なところよくわかりません。
また、国宝以外の断簡には、国宝の4種類以外の書風が見られます。それが、第五類に分類されている第19帖「薄雲」から第26帖「常夏」です。(第21帖「少女」については別の書風ともいわれる)

「源氏物語絵巻」の詞書断簡

第 5帖  「若紫」                             個人蔵
第 6帖  「末摘花(すえつむはな)」  書芸文化院蔵
第18帖 「松風」                             書芸文化院蔵
第19帖 「薄雲」                             前田家旧蔵、現在所在不明
第21帖 「少女(おとめ)」              個人蔵
第25帖 「蛍」                                個人蔵
第26帖 「常夏」                             書芸文化院蔵
第36帖 「柏木」                             模写/原本は現在所在不明
第36帖 「柏木」                             書芸文化院蔵

※このうち第五類は、第19帖「薄雲」から第26帖「常夏」までとする。
(第21帖「少女」については別の書風ともいわれる)
 第五類の書風は古風。側筆ながら古いタイプ。行間は美しい。

5年ごとに開催される国宝「源氏物語絵巻」展

国宝「源氏物語絵巻」展は、5年に1回、五島美術館と徳川美術館が交代で現存する国宝絵巻のすべてを公開する展覧会です。私が美術館に勤務し始めた頃に徳川美術館さんと取り決めをしました。開催の年は、互いの美術館が10年ごとの周年記念を迎える年です。次は2020年、来年の秋、五島美術館で開催されます。大変に人気のある展覧会で、行列ができます。以前、その行列を見て何時間かかるのか、と尋ねてきたお年寄りがいます。うちの館員は「2時間です」と答えました。すると、その方が「私も歳だから」といいました。それに対して館員はこう答えました。「あと5年たてば名古屋で見られますが、5年待ちますか、2時間待ちますか」。(会場、笑)うまいこというなと思いました。ぜひ、来年、ご覧ください。

緊迫した場面を演出する乱れ書きや重ね書き

2018年カレンダー11月の第40帖「御法」の詞書は、乱れ書き、重ね書きがなされています。筆者は第一類の筆者です。これは、この筆者の演出だと考えています。この部分は読みにくいのですが、物語の内容は最後に紫上が亡くなるというものです。このような表現がここだけならば、私もこの筆者の演出といいません。しかし、2019年カレンダー2月の第36帖「柏木二」の詞書でも同じような表現が使われています。詞書に続く絵の場面の後、柏木は亡くなります。そのような緊迫した場面を表現するため、集中しないと読めない乱れ書き、重ね書きを使ったのだと考えています。これは、乱れ書き、重ね書きの役割を緊迫した場面を表現するものだというわけではなく、この筆者のように使う人もいるということをいいたいのです。

2018年カレンダー「11月」(第40帖「御法」)

2019年カレンダー「2月」(第36帖「柏木二」)

弐千円札に使われた「紫式部日記絵巻」と「源氏物語絵巻」

先ほど、五島美術館で「紫式部日記絵巻」を所蔵しているという話をしました。じつは、弐千円札の紫式部の肖像は、五島美術館の「紫式部日記絵巻」から採られています。また、弐千円札には「源氏物語絵巻」の「鈴虫二」の絵と「鈴虫一」の詞書が使われています。
そればかりでなく、弐千円札の印鑑部分には篆書体、「日本銀行券 弐千円 日本銀行」の文字には隷書体、絵巻の詞書には行書体、草書体、かな、変体仮名、さらに守礼門の扁額の文字は楷書体、というように、さまざまな書体の文字が盛り込まれているのです。日本に漢字が入ってきてから現代に至るまでの文字が盛り込まれているということになるという、大変に興味深い紙幣です。ぜひ大事に使ってください。(会場、拍手)

質疑応答

紫式部は、なぜ『源氏物語』を執筆したのか

(聞き手:菅原敦夫氏)紫式部は、なぜ『源氏物語』を執筆しようとしたのでしょうか。その動機を教えてください。
(四辻秀紀氏)むずかしい話ですね。最近出版された本(ちくまプリマー新書『源氏物語の教え もし紫式部があなたの家庭教師だったら』大塚ひかり著)にこのような説が書かれています。薫を筆頭として男たちがお姫様たちに言い寄ってくるわけですが、そのような男たちにだまされないために、こんな風に言い寄ってきたらこんな風に受け答えすればよいというさまざまなパターンを、処世術として示しているという説です。男性に対応するための女性用のマニュアル、教育書として書いたんだという説が出されています。

紫式部の自筆の遺品は伝わっているのか

(聞き手:菅原敦夫氏)紫式部の自筆の遺品は、現代に伝わっていますか。
(名児耶 明氏)ありません。伝称筆者として名前が挙げられている遺品はありますが、真筆と確認されている遺品はありません。

複製製作や復元模写はなぜ行われたのか

(参加者)田中親美(たなか しんび、1875〜1975)さんの副本、川面義雄(かわづら よしお、1880〜1963)さんの木版複製、現代の復元模写について教えてください。
(四辻秀紀氏)まず、徳川美術館所蔵の国宝「源氏物語絵巻」は、しわ折れなどの劣化を防ぐため、1935年に巻物の状態から紙と紙の継ぎ目ではがして額面装にしました。そこで、額面装以前の状態を残そうと、田中親美さんに現状模写、副本製作をお願いしました。川面義雄さんの木版複製は、尾張徳川家の第19代当主であり徳川美術館の創設者の徳川義親(とくがわ よしちか、1886〜1976)が『源氏物語』を普及させたいと考え、彩色複製に適した木版摺りによって製作したものです。
さて、1998年に当時の通産省の事業の一つに、国宝「源氏物語絵巻」の高精細デジタルアーカイブの試作という企画がありました。東京国立文化財研究所(現、独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所)の協力を得て顔料分析や蛍光X 線調査など科学的分析・調査も行いました。しかし、デジタルアーカイブは血の通ったものにならないんですね。そこで、人の手で描きましょうということになり、日本画家の林功さんにお願いして始まったのが復元模写です。残念ながら林功さんが亡くなり、そのあとを継いだ一人が2018年に完成した名古屋城本丸御殿の障壁画の制作・指導にも携わった加藤純子さんです。復元模写に至る経緯は、およそこのようなことになります。

絵巻ではなぜ後ろ姿の女性の頭が小さく描かれるのか

(参加者)絵巻に登場する女性の後ろ姿は、頭が小さく描かれていますが、これは大和絵の規則なのでしょうか。
(四辻秀紀氏)斜め向きと同じ比率で頭を描くと、黒の色面がとても大きく見えてしまいます。そこで、後ろ姿の頭はこじんまりと描くというのが、どうやら決まりごとになっていたようです。

カレンダーはどのような印刷をしたのか

(参加者)今回のカレンダーは何色で刷ったのかなど、どのような印刷をしたのか教えてください。
(聞き手:菅原敦夫氏)印刷の詳細は企業秘密ということで(会場、笑)ご勘弁いただいて…。今回は、試し刷り、校正を何度も繰り返しました。ここには、勝井三雄先生の妥協を許さない姿勢が現れています。また、通常は監修者が色校正に関わることがあまりありませんが、今回は名児耶明先生、四辻秀紀先生にも最初から最後までご覧いただきまして、このような仕上がりを実現できました。

閉演を迎えて

両講演者による専門的、かつわかりやすい解説と、時には笑いを誘うこぼれ話などをまじえながらの内容に、参加者は自然に引き込まれ、盛況のうちに最後は大きな拍手をもって閉演となりました。