モリサワ文字文化フォーラム

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フォーラムレポート

第28回モリサワ文字文化フォーラム [デザインからデザインまで] ピクトグラム その機能の役割

2020年1月22日(水)、第28回モリサワ文字文化フォーラムが開催されました。
今回お招きしたのは、「東京2020スポーツピクトグラム」の開発に携わったことでも有名なグラフィックデザイナー・村 正彰氏。1964年の東京大会で生まれたスポーツピクトグラムの考え方を継承し、さらに各競技の魅力を引き出すべくリノベーションされたデザインについて、「デザインからデザインまで」をテーマにご講演いただいた。

ピクトグラムの起源−「誰にでもわかりやすく」

ピクトグラムは1920年代にオーストリアの哲学者であるオットー・ノイラートが考案した試みが起源とされている。識字率が低かった第一次世界大戦後に作られた経済博物館において、資料の内容を誰にでもわかりやすく伝えるため、いくつかのルールに基づいたアイコンが作られた。靴工場を表す時には工場のアイコンの中に靴のアイコンを入れる。さらにその靴が手作業で作られるのか機械で作られるのかで区別して、工場の割合がわかりやすく伝えられていた。二つの意味を組み合わせるという意味では、「へん」と「つくり」のような、文字の組み合わせにも似ていると村氏。こうした文字のない説明は「アイソタイプ」と呼ばれ、ピクトグラムの原点とされている。

スポーツピクトグラムが公式に採用されたのは、世界でも1964年の東京大会が初めてである。また、同じくして、会場設備の案内を示すための施設ピクトグラムも作られた。村氏は「田中 一光先生から『赤坂離宮に何十人ものデザイナーが集められ、一つのお題に対して何十枚ものグラフィックを描いた』という当時の様子を何度も聞きました」と語った。
1960年の世界デザイン会議から1964年の東京大会、そして1970年の大阪万博と、日本のデザインを世界に知らしめることとなった一連の流れは、2020年の東京2020大会から2025年の大阪万博へと続く現代とも通じるものがある。「戦後デザインの夜明け」とも言えるデザインが大きく飛躍した当時の盛り上がりをもう一度思い起こさせるように、という思いが本プロジェクトには込められている。

東京2020大会のリノベーション、厳しい“専門家の目”

東京2020オリンピックスポーツピクトグラムは33競技50種類、東京2020パラリンピックスポーツピクトグラムは22競技23種類。大会におけるスポーツピクトグラムの役割は本来、簡潔な形でスポーツを表現するという点だが、国の威信をかけてオリンピックを開催する意義として、各国の象徴的な歴史や文化をモチーフにすることが多い。今回も「日本らしさとは何か」「2020年に東京で開催するということ」という観点から、開発チームで十数種類の検証がされたという。例えばひらがなをモチーフにできないか、あるいは鳥獣戯画の動物たちが当てはめられないか。さらには漫画やアニメのキャラクターを使うなど、度重なる試行錯誤の末に、「1964年をリスペクトする」という案が採用されることとなった。
とりかかったのはまず東京2020オリンピックスポーツピクトグラムからだったという。
ここで村氏から、実際にデザインする上で定められたいくつかのルールが具体例とともに紹介された。まずは「頭部は円形」にするということ。例外はヘルメットやギアなど、それを被らないと成立しないスポーツのみとし、それ以外は全て円形で統一された。“なるべく省けるものは全て省く”という精神のもと、「胴体を抜く」というルールも挙げられた。体のひねりや角度といったアスリートの躍動感を表現するために、胴体を描かず、手足を強調した。そのほか、ボクシングでは、グローブの形にこだわり、よりダイナミズムを演出。全身を描くだけではどうしても迫力が出ないため、下半身は省略し、上半身のみとした。柔道では道着を着せることによってその競技の個性が明確に描かれている。その競技“らしさ”を大切に、時にはルールに縛られすぎない柔軟な視点によって各ピクトグラムが仕上がっていった。
案がある程度絞られた段階から随時、IOCのデザインディレクターに見せ、厳格な確認を受けた。ディレクターはとても厳しく、段階を追っての確認をはてしなく繰り返したという。村氏はここでまず、オリンピックのハードルの高さを実感したという。「しかし、そこからが更に難関で、各競技団体の専門的な視点から細かい確認を受け、何度も修正を重ねてなんとか完成に至りました。」と村氏。セーリングでは左右の腕の役割、馬術では高得点となる馬の頭の角度、など、実際の競技ルールや得点となるポイントまでも描ききる必要があり、自身に馴染みのないスポーツについてはその点がとても苦労したという。各競技団体のかたがたは、描いて欲しいところのイメージを明確に持っており、具体的なアドバイスが多かった。だからいいものができる、と改めて感じたそうだ。

パラリンピックに関して言えば、一つの競技の中で何種類もの障がいのレベルがあるため、一つに選択することがとても難しい。どれを選択すればその競技“らしい”形が表現できるのかを一つ一つ考え、非常に時間がかかったという。また、オリンピックと同様に競技団体の確認によって競技への理解を深めながら作っていった。たとえばシッティングバレーは、お尻が床についていること、というルールを明確に表しているかどうかを指摘されたとのこと。何回もの試行錯誤の上、姿勢を変え、角度を見直しながら、ただ座っているだけでなくしっかりとお尻を床につけている姿勢を描き、正確にルールを反映したデザインとなった。
こうして、多くの人の目を通して出来上がった東京2020スポーツピクトグラムは、1964年のピクトグラムを踏襲しつつ、各競技の持つ躍動感や肉体の美しさがよりわかりやすく伝わるよう磨き上げられ、完成されていった。

ひとびとに寄り添うデザイン

後半は、村氏がこれまで手がけてきたピクトグラムを使用したサインデザインの事例が紹介された。その中の一つとして挙げられた横須賀美術館のサイン計画は、可愛らしい人型のアイコンが館内を案内し、訪れた人を楽しげに誘導していく。そのアイコンは「よこすかくん」という愛称がつけられ、公式Webサイトや公式グッズに展開されている。記憶を辿るとふっと思い出すような、愛着を持ってもらうこともサインにおいては重要なのではないかという。
また、枚方 T-SITEのバックヤードにもピクトグラムが展開されている。店舗のデザインではなく裏方であるスタッフに、気持ちよく働いてもらうためのデザインだ。
ルートやフロアの説明が、壁面とエレベーターに大きく配置されている。通常ほとんど装飾もされず、殺伐としたバックヤードに、わかりやすさと親しみが生まれた。
そのほか水族館や自動車メーカーのデザインセンター、カプセルホテルなど、多くの人が集まる施設内において、一目で伝わるピクトグラムの存在は重要な役割を担っている。年齢や国籍を超えたコミュニケーションを生み、ひとびとの暮らしをより快適なものにしているのだ。

質疑応答

最後に、会場からの質疑応答の時間が設けられた。
一つ目の質問は「建築物におけるあらゆるサインのデザインが変化していく中で、消防などの不可欠なサインはどこまで認知されるものになるのか。反対に、トイレのマークは、男女の分け隔ても明確でなく区別がわかりづらいものになってきている」というものだった。そこで村氏は、トイレのサインに関しては、最終的にトイレそのものが区別なく、誰もが使えるものになるべきという流れになっていくはず、と語り、消防のような公共性が求められるサインも同様に、デザインが変わればいいわけではなく、今後は、機能や形自体の提案から変えていく必要があると回答した。
食品パッケージのデザインをしているという質問者からは「食品パッケージにおいては、たくさんの実務的なマークを入れなくてはならない」という声が挙がった。村氏は、デザインの限界について言及しながら、質問者の意見に賛同。パッケージデザインに求められる要素の、”必要なものを全部入れたい” ”売れるデザイン”というオーダーは考えを改めた方がいいと持論を展開した。手にとってものを買うこと自体が減った現代において、別の媒体で他の情報を伝える手段もあるはず。過敏に考えず、引き算のデザインを考えていこうとする姿勢が大切だと語った。

誰が使うか、何を描くかを意識しながらデザインされたピクトグラムによって、われわれの暮らしは豊かになっていく。村氏のデザインはシンプルでわかりやすい。さらに、一目見れば記憶に留まるような、感性に響く存在感がある。東京2020大会のピクトグラムもまた、見る人の記憶に残り、大会でのさまざまなシーンと共に思い起こされ、長く愛され続けていくだろう。