文字を組む方法

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第三回    

よくいわれるように、日本人は外来文化を咀嚼して自らのものとすることに長けています。古代は中国や朝鮮半島から、近代はヨーロッパから、また第二次大戦後はアメリカから、それぞれ多大な影響を受けてきました。
日本には、「日本文化」という独自の文化があると考えられています。しかしそれは、外来文化に対する対抗文化のような性質を持っており、つねに主体は外にあるようにも見受けられます。ですから、“影響”とはまた違って、外来文化は、自国の文化をかたちづくる原動力であったのかもしれません。
いずれにせよ、日本という国が、一国だけで成立するはずもなく、古代から近世にかけては東アジア文化圏に、現代では地勢的な枠組みを超えた高度資本主義文化圏に属していることは間違いありません。
中国主導の東アジア文化が日本語の「漢文組み(均等字送りを基本とした文字組み)」を作ったように、西洋の文化も日本語組版に何らかの影響をもたらしたのでしょうか。

和欧
混植

外来語をカタカナで表記するようになったのはいつごろのことでしょう?はっきりと調べたことはありませんが、たぶん江戸後期にはすでに行なわれていたものと思います。
カタカナは、漢字の偏や旁の一部だけを採ったもので、漢文の横に読みを書き添えたりするときに使われていましたから、外来語をカタカナで書くことは、自然に受け入れられることだったのでしょう。もともと漢字を倭語にあてて読んだ万葉仮名も日本語に漢字を振ったものとも言えますから、音にしたがって文字を振るのはお手のものだったに違いありません。
かつて、洋画は日本語題で(翻訳して、または、まったく違う題名をつけて)公開していました。たとえば、ヒッチコックの「鳥」の原題は「The Birds」で直訳ですが、ニューシネマの名作「明日に向かって撃て」は「Butch Cassidy and the Sundance Kid」で、まったく違うタイトルになっています。
こういういわゆる“邦題”には味のある忘れがたいものも多いのですが、ここ10年ぐらいは直接カタカナ書きする題名が多くなっています。しかも「パイレーツ・オブ・カリビアン~ワールド・エンド」(原題は「Pirates of the Caribbian: at World’s end」)のように、適当にカタカナ英語にされているものもあって、子供も観る映画なのにこれでいいのかと心配になります。また、最近は「Into the Wild」のようにそのままアルファベットで表記するものも出てきています(ちなみに「Into the Wild」の原作は、『荒野へ』という翻訳題で日本でも出版されています)。
長々と何を書いているかというと、日本語の中に、本格的にアルファベットが混ざりつつあるということを言いたいのです。映画のタイトルも日本語題から外国語のカタカナ表記、そして原文表記へと変わってきました。
日本語は仮名漢字混じり文であることは言うまでもないのですが、そこにラテンアルファベットも混ざるようになってきたのです。
日本語は、構文が正しく、助詞や助動詞が日本語でありさえすれば、日本語として認知できます。たとえば《Theater で「Into the Wild」を enjoy した》でも、日本語として通じるということです。また、NASAやHTMLなど、アルファベットでしか表記できないことばも増えて、ますます和欧混植率が高まっています。このことは、昨今の欧文タイポグラフィへの興味とも無関係ではないでしょう。

「日本英學業新誌」
明治25年(1892)創刊
英文は横組み邦訳は縦組みで記載されている

横転横書きの例(明治34年)

左横書き

もう一つの重要な西洋文化からの影響に「左横書き」があります。左から右へ横に文字を並べて書くのはいつごろからはじまったのでしょう?屋名池誠氏による、詳細な研究、『横書き登場 ─日本語表記の近代─』(岩波新書)を見ながら、話しを進めたいと思います。
同書に、公刊物での左横書きの最初の例として、明治4年(1871)に刊行された『浅解英和辞林』が挙げられています。想像に違わず辞書がはじまりなのですが、どうもそれは、大型の本格辞書ではなく、簡便な小型本で、その外見どおりに中身も怪しげなものだったということです(当時、書物の格式はそのサイズによってあらわされていました)。なにやら、版権侵害で訴えられていたような、あやしげな本ということですが、左横書き、洋式(グーテンベルグ式)活版印刷という新機軸を打ち出しており、ある意味、意欲的な出版物だったようです。その後、左横書きされる語学書が立て続けに出たことをみても、追従されるほど影響力があったことがわかります。それまで辞書は、「縦書き右方向行移り(左から右へ行を進める)」「横転縦書き(縦書きを90度回転させる)」などの工夫でしのいでいたのですが、ついに、真打ちの「左横書き」が登場したのです。しかし…と、同書は進みます。
しかし、世界的に見れば、縦書きから横書きへの移行は横転横書きが普通なのに、なぜ日本語が左横組みへと展開したのか。同書はそれを、横書きに不利にならない枡目組版だったためと解いています。前回でお話しした「漢文組み」つまり、漢文のように組むために連綿のひらがなをひと文字ずつに分断し、正方形の枡目に埋め込んだことが、日本語の左横組みを可能にしたというのです。
縦書き枡目組版信奉者ほど横組みを嫌うことを思い起こせば、不思議なことですが、“ふるまい”が先にあって技術を作るのではなく、技術から“ふるまい”が生まれる例はどこにでも見ることができます。これもそのひとつなのでしょう。
外国の書字方向に影響を受けて、自国のことばをまねて書いてみることは、よくあることです。20世紀初頭の日本文化の影響を受けたヨーロッパでは、縦書き(横転縦書き)にした添え書きがたくさんありますし、日本でも、江戸時代後期の錦絵に、横転横書きを見ることができます。しかし、そういった新しい書字方向が定着することはきわめて稀です。なぜ日本に左横組みが広まっていったのか、それについて『横書き登場』はこう述べています。
──日本語に新しい書字方向が生じたのは、当時の日本社会にそれを受け入れる社会的条件がたまたま備わっていたからだ。そういう意味で、日本語における横書きの成立は、時間と空間の条件に制約された一回性の歴史的な事件だったのである。──
その「社会的条件」とは、明治の西欧文化への傾倒とあこがれにほかなりません。昭和戦後すぐに創刊された児童雑誌に掲載された左横組みへの(今読めば噴飯ものの)啓蒙も、敗戦国日本が欧米に追いつきたいという気持ちがエンジンになっていたのでしょう。文中にある《進ンダ國ノコトバハ,イヅレモ,ヒダリ横ガキニナッテヰマス》という一文がそれをあらわしています。左横書きが一般に定着するのは、1960年以降のことです。
では、書字方向の変化が日本語タイポグラフィにもたらしたものはなんだったのでしょうか。

最初の左横書きの刊行物
『浅解英和辞林』(明治4年)

左横組みに縦組みのふりがな(昭和35年)
1960年代に入ってもまだ安定していなかったことが伺える

「ヒダリ横グミニツイテ」(昭和21年)
児童雑誌『銀河』(新潮社)に掲載された解説

プロポー
ショナル
組み

組版は、字間、行間、段間など、スペースを決めていく作業であることは、第1回で述べました。スペースはドーナツの穴と同じでドーナツ本体がそれを決定します。つまり、どこからどこまでを文字と見なすかがスペースを決める重要な要素になります。 たとえば、ボディ(仮想ボディ)全体を文字と見なすとします。そうすると、前回紹介した漢文組み、つまり枡目組版は、均等字送りで、かつ字間も均等にあいていることになります。しかし、文字のかたちそのものを基準にすると、枡目組版の字間は不均等ということになり、文字ごとのプロポーションに添った字送りの方がアキが等しくなります(第1回図版参照)。この文字のかたちを基準に字間を決めていく組み方を「プロポーショナル」と呼んでいます。 ラテンアルファベットは、i, a, m など文字の幅に差がありますから、活字時代から文字の幅にしたがってボディの幅も変えて、プロポーショナル組みを実現していました。しかし、AVなど文字を食い込ませないと均一のアキが得られないものに関しては、やはり、ボディに添ってあいたままになっていました。和文、欧文とも、正確なプロポーショナル組みを手に入れたのは、写植以降、つまり、活字のボディから解放されてからのことなのです。 しかし、一口に字間を均等にあけるといっても、なかなか難しいものがあります。たとえば、「もじ」のように同じようなかたちの文字が並ぶ場合と、「もつ」のように左右にふくらんで空間が真ん中にできる場合では、同じだけ文字と文字の間をあけても、均等には見えません。プロポーショナル組みの場合、“目で見て”間隔を調整する必要があります。つまり、ひとによって上手、下手ができる組み方とも言えます。

欧文
組み

活字の時代から清刷りを切り貼りして詰めたり、写植では詰め情報を持っている文字盤がつくられたり、プロポーショナルに文字を組む欲求は以前からありました。しかし、和欧混植、左横組みにともなって、急速に普及してきたことも確かでしょう。
枡目に文字が整然と並ぶ縦組みとは違って、“見え”の字間を均等に調整し、全体の濃度を均質に近づけ、横のラインもすっきり整えて見せる方法は、欧文組版からの影響が色濃く見られます。左横組みでプロポーショナルな組み方は、欧米の文化とアルファベットへのあこがれが育てた日本語組版=欧文組みといってもいいでしょう。
均等字送りの縦組みが漢文に倣った「漢文組み」で、プロポーショナルの横組みが「欧文組み」であるなら、日本語独自の組み方はいったいどこにあるのでしょう。それを探すべく、次回からは、技術と組版の関係について見ていきたいと思います。

2007.7.31 (第三回 了)

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