文字を組む方法

ページメニュー

第七回    

タイポグラフィにはふたつのジャンルがあります。ひとつは、ここで取り上げているような組版を中心とした文字による表現法で、もうひとつはタイプフェイスデザイン、つまり書体設計です。タイポグラファーとタイプフェイスデザイナーは違う仕事ですが、通常、両方を含んでタイポグラフィと呼ぶことが多いようです。わかりやすく定義すると、文字をつくることと使うこと。このふたつが広義のタイポグラフィと言っていいでしょう。
文字をつくる人は長く活版印刷所の中におり、日本に書体デザイナーと呼べる職能が現れるのは写植以降のことです。ヨーロッパの活字書体は比較的出自や作者がはっきりしていますが、字数の問題もあるのでしょう、日本では匿名の場合が多く、組織の仕事といった印象があります。しかし、物理的な文字をつくる必要がない写植技術下において、タイプフェイスデザインは一気に花開きます。第五回でも述べたように「タイポス」や「ゴナ」といった新しい書体が生まれ、モリサワ・タイプフェイスコンテストなどのコンクールで、書体デザイナーへの道も拓かれていきました。書体制作の仕事がデザイナー個人の資質に帰するようになったのは、このころのことです。
写植書体が活字より飛躍的に開発しやすくなったとはいえ、デザイン以降の製作部分はまだまだ資本の手にゆだねなければならないものでした。しかし、Apple Macintoshとフォント作成ソフトの登場により、事情は劇的に変化します。商業印刷に耐えうるアウトラインフォントを「文字を使う」側であったグラフィックデザイナーがつくれるようになったのです。それもやはり、文字数も少なく扱う情報量も小さいラテンアルファベットからはじまりました。

書体
デザイン
の新潮流

80年代中ごろ、デジタルタイポグラフィは、アップルコンピュータを生んだアメリカ西海岸のDIY(Do It Youeself)精神とロンドンの先進的かつ伝統的なグラフィックデザインが結びつくことで開花します。
インディペンデントなレコードジャケットのデザインなどで知られていたネヴィル・ブロディは、『FACE』誌のオリジナルフォントを駆使したアートディレクションで一躍脚光を浴び、デザイナーズフォントを先導する役割を果たしました。また、自らタイポグラフィのプロジェクト「FUSE」を主催し、パーソナルな書体デザインを推進しました。ブロディのあとには、ジョナサン・バーンブルックらが続き、ロンドンのみならず、アメリカや日本にも多大な影響を及ぼしました。
デザイナーズフォントは、70年代後半のパンクやニューウェイヴにはじまる音楽シーン、やはりロンドンの「i-Dマガジン」などにみられるストリートファッション、ヒップホップやテクノといったクラブカルチャーなど、サブカルチャーと地続きにあったものです。これまでの活字や写植書体にはない、ボトムアップの文化がそこにありました。
アメリカ、バークレーでは、84年にルディ・バンダーランスとズザーナ・リッコによる「エミグレ(エミグレ・グラフィクス)」が設立されました。タイポグラフィをメインとしたグラフィックマガジン『Emigure』も同年に発行され、タイプ・ファウンドリーとしての役割も担いました。
エミグレはビットマップフォントにはじまり、アウトラインフォントにおいても斬新なデザインのフォントを発表し、オルタナティヴなタイプフェイスデザインを実践していましたが、96年に発表した「ミセス・イーヴス」によって、伝統的なタイポグラフィ界にも受け入れられるようになりました。「ミセス・イーヴス」は、ジョン・バスカヴィルの妻の名を冠した改刻書体です。
そのほかに、MetaやInfoといった新標準ともいえる書体を手掛けたエリック・スピーカーマンが主宰する「FontFont」、70年代『RollingStone』誌のアートディレクターとして知られるロジャー・ブラック率いる「The Font Bureau」、先鋭的な制作集団の「T-29」などがよく知られるところです。
日本におけるパーソナルなフォント制作は、ロンドンからの逆輸入による「カタカナフォント」で注目されました。ロンドンのストリートシーンにおける日本の文字、特にカタカナの流行に影響を受け、新進のデザイナーたちがカタカナフォントをつくって発表しはじめます。カタカナだけなら、欧文と同じ1バイトで処理ができ、「Fontgrapher」など、パーソナルな欧文フォント作成ソフトが使えたのです。印象的なデザイナーとして、「レヂスターフォント」「ポリエステルフォント」など、シーンをリードする書体を矢継ぎ早に発表したミヤヂマタカフミの名前を挙げることができます。
残念ながらカタカナフォントは一過性のブームに終わってしまいましたが、味岡伸太郎氏が中心となって進めている「Font1000」のプロジェクトなど、グラフィックデザイナーの手による意欲的な書体制作は今も続いています。

Typeface Six, 1986
ネヴィル・ブロディ

(上)Emigre, 1985
(下)Mrs. Eaves Smart Ligatures, 1996
ズザーナ・リッコ

(上)レヂスターフォント, 1995
(下)ポリエステルフォント, 1996
ミヤヂマタカフミ

伝統への
回帰

手元に4冊の和文デジタル書体の総合見本帳があります。古い順から紹介すると、『和文電子活字綜合見本帳』(1999年、朗文堂)、『DTP World別冊 デザイナーのためのフォントスタイルブック2004』(2004年、ワークスコーポレーション)、『アイデア別冊 基本日本語活字集成 OpenType版』(2007年、誠文堂新光社)、『フォントブック[和文基本書体編]』(2008年、毎日コミュニケーションズ)。判型に違いはありますが、まるで倍々ゲームのように分厚くなっています。
収録書体数は、『和文電子活字綜合見本帳』約1250書体、『フォントスタイルブック2004』1377書体(和文フォント)、『日本語活字集成』約1650書体、『フォントブック』558書体と単純に増えているわけではありません。しかし、おおよそ20年前にわずか数書体でスタートしたデジタルフォントが、10年後の90年代後半には1000書体を数え、さらにその10年後の現在は2000に届こうという、とんでもないスピードで開発されていることがわかります。
見本帳をぱらぱらめくっていると、99年のものは(見本帳のレイアウト体裁もあって)まだ写植書体見本帳とたいして違わない印象なのですが、年を経るにつれクラシックな文字が目につくことに気づきます。実際、04年発行の見本帳には、字游工房の「游築見出し明朝」や「游築初号ゴシックかな」、同社のデザインによる大日本スクリーン製造の「游築仮名」シリーズなどの活字の源流ともいえる築地体の改刻書体が登場しています。07年刊行本には、復刻書体のシリーズ「日本の活字書体名作精選」(大日本スクリーン製造)やフォントワークスの「筑紫明朝」なども掲載され、この間に改刻書体がひとつのジャンルを築いたことがわかります。オールドかな、小がな、アンチック体の復活や、写植特有の文字のボケ足を再現したモリサワの「A1明朝体」などもこの流れの上にあるものと考えていいでしょう。
『日本語活字集成』の巻頭で小宮山博史氏が日本語書体の分類を試みていますが、そこでは、こういった明治の活字を源流に抱く改刻書体を、基本書体のひとつ(明朝体─オールドスタイル)としてカテゴライズしています。
デジタル化された書体制作の技術によって、デザイナーがオリジナル書体を自由にデザインできるようになっただけでなく、こういった活字資産も高度にフォント化できるようになりました。その背景には、コンピュータによって喚起されたタイポグラフィへの興味によって、これまでの地道な活字研究に注目が集まったことがあります。電子テクノロジーは未来を想起させるだけでなく、過去を振り返る契機にもなっていたのです。

游築初号かな, 2004
字游工房

デジタル
メディア
の文字

デジタルフォントは印刷用の文字だけでなく、デジタルメディア、つまり画面表示用の文字としても開発されています。オンスクリーンの文字はビットマップフォントが主流でしたが、ここ数年、アウトライン表示に切り替わりつつあります。理由として、ディスプレイが高解像度になったこと、ラスタライズの技術が熟してきたことなどが挙げられます。
コンピュータではMacOSが印刷書体としても評価の高い「ヒラギノ」をデバイスフォントとして採用し、マイクロソフトはWindowsVistaからClearTypeに対応した「メイリオ」を搭載しました。ClearTypeはWindowsXPから用いられているアンチエイリアシングの技術です。
携帯電話でもビットマップフォントからアウトラインフォントへの切り替えが進められています。新ゴをはじめとしたモリサワ書体を三分の一以下の容量に軽量化し、専用の高速ラスタライザと共に提供する「KeiType」が、富士通や三菱電機の携帯電話に搭載されたのは記憶に新しいところです。
デジタルメディアの場合、常にフォントのデータ量が問題になります。そのため、アウトラインの制御点をいかに少なくして文字のかたちを整えるかが書体の善し悪しを決めるポイントとなります。デザイン誌『AXIS』専用に開発された「AXISフォント」は、そういった意味で成功した数少ない例でしょう。
たとえば「ヒラギノ角ゴシックProW3」は8.9MB、「平成角ゴシック」は3.5MBですが、「AXISスタンダード・レギュラー」は1.8MBしかありません。雑誌のエクスクルーシヴフォントとしての経緯しか語られてこなかった「AXISフォント」ですが、実はスクリーンフォントをにらんでの開発であったことがわかります。書体設計もデザイナーの技能だけではなく、アートディレクターの才気が問われる時代に入ったということなのでしょう。
近年のタイプフェイスデザイン研究では、CTPにおける文字印刷と高解像度ディスプレイの文字表示とは、書体設計において同様の対応が可能であるという結論になりつつあります。印刷とスクリーン表示に同じ文字を使えることで、メディアデザインとタイポグラフィについて新たな考察が必要になってくるでしょう。
これまで、オンスクリーンでのタイポグラフィはあまり語られることがなく、どちらかといえばあきらめ気分が蔓延していた分野です。しかし、紙よりディスプレイで文字を読むことの方が多くなってきつつある今、文字による表現の可能性が拡がったことは歓迎すべきことです。

開発中のメイリオ(当時「明瞭」)が掲載された
『Now read this』(Microsoft, 2004)

KeiType, 2007
モリサワ

AXIS Font Standard EL, 2001
AXIS Inc, タイププロジェクト

オープン
タイプと
書体設計
の将来

和文のポストスクリプトフォントはこの短い歴史の中で、二度大きくフォーマットを変えました。ポストスクリプトフォントは、欧文(ラテンアルファベット)を前提に開発されたものですから、当初256文字(1バイト)しか扱えませんでした。しかし、日本語を表記するには数千字が必要です。そこで、256文字ごとに小分けした1バイトフォント(Type1フォント)を合成(コンポジット)するかたちで、日本語などの2バイト言語用のフォーマットが作成されました。それが最初に普及したOCF(Original Composite Font)です。
次に、CID(Character IDentifier-Keyed)と呼ばれるフォーマットが登場します。CIDはフォント本体とマッピング情報を別のファイルで持っており、マッピング情報用のファイル(CMap)を取り替えれば、どんな文字コードにも対応できる利点がありました。また、文字のアウトライン化やエンベッドも可能で、フォントの用途を飛躍的に拡げました。
現在主流となっているのは、マイクロソフト社とアドビシステムズ社によって開発されたOTF(OpenTypeFont)です。OTFの特長として、大きく

  • ユニコードを採用しているので最大約65000文字が登録可能
  • TrueType, PostScrip双方に対応し、クロスプラットホームを実現
  • ダイナミックダウンロードによってプリンタフォントが不要

の三つを挙げることができます。
異体字を搭載できたり、文字化けが減ったり、解像度の制限がなくなったりという実利があるのはもちろんですが、書体設計そのものを根源から揺るがすようなことが起こっています。
OTF対応のアプリケーションにはさまざまなメニューがあります。数字の字形や縦組み横組みに対応する仮名の自動選択はもとより、「前後関係に依存する字形」を選択することもできます。
これまで、フォントとなったひとつの文字のかたちはひとつと決まっていました。しかし、文字をたくさん格納できる技術は、さまざまな異体字の併存を可能にします。日本語では旧字に使われることが多いのですが、縦組み用、横組み用、ルビ用など字形を調整した仮名を同じフォント内に持つこともできます。それだけではなく、前後の文字とのつながりによってハネやハライなどを調整した文字を表示することも可能になりました。「あい」と「あう」の「あ」を、違うかたちで表現することができるということです。欧文フォントでは「Caflisch Script」など、すでにこの機能を備えた書体が散見されます。
書体ごとの揺るぎないかたちを完成させることが書体設計の目標のひとつでしたが、今後は、文章になったときの文字の変化を考えに含めて、固有の“かたち”ではなく、変化のアルゴリズムを設計することが必要になってくるでしょう。
スタンプのように同じかたちが繰り返されることを奇異に感じたのか、考えてみれば、グーテンベルクのブラックレターや嵯峨本の連綿体など、写本や書写をお手本とせざるを得なかった最初の印刷書体は、微妙に違うかたちの同じ文字をたくさん持っていました。コンピュータを活用することで手のぬくもりがかえってくるかも知れません。

2008.11.4 (第七回 了)

一覧へ戻る

Caflisch Script Pro に収められたさまざまな"p"

42行聖書に使われたグーテンベルグ活字
『Typographie』Emil Ruder, Nibbliより

嵯峨本『伊勢物語』(近畿大学中央図書館蔵)より採集された連綿木活字の「あ」の一部
「嵯峨本の印刷技法の解明とビジュアル的復元による仮想組版の試み」研究代表:鈴木広光 より