書体見聞

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第一回 新ゴ(上)

第一回 新ゴ(上)

新しいゴシック体のニーズ

「non-no」創刊号(1971年6月、集英社)より。
70年代に入ってすぐ、『anan』『non-no』に採用された『タイポス』。新鮮な誌面を求めるデザイナーたちに受け入れられた例だ。

日本のグラフィックデザインは、1970年代を境に大きく変わった。
タイポグラフィの面から見ると、従来、本文には明朝体を使うのが基本だったが、雑誌を中心にゴシック体を使うケースが多くなった。
デザイナーは、活字に由来するクラシカルなゴシック体だけでは物足りなく感じ、モダンなスタイルを表現できる書体を求めていた。
見出し、本文、キャプションなど、1ページ全てにゴシック体を使うのなら、ひとつの書体“ファミリー”でまとめれば、すっきりした印象に仕上げられる。
ファミリーとは、統一したデザイン・コンセプトのもとで、いくつものウエイト(太さ)を揃えた書体のグループのことだ。欧米では、すでにファミリー内の各ウエイトをうまく使い分けるグラフィックデザインが定着していた。
しかし、当時の和文書体には、厳密な意味でのファミリーは、ほとんど存在しなかったと言っていい。

本格的なファミリーへの挑戦

1970年代~1980年代の代表的なモダン・ゴシック体、ツデイ。

たとえば、モリサワはモダンなゴシック体として、1970年代から「ツデイ」を発売した。
ツデイにもL(ライト)からB(ボールド)までのウエイトがある。見出しだけでなく、本文にも使えるゴシックとして好評だったが、細いウエイトと太いウエイトでは文字の表情が微妙に異なっている。
当時は、一書体の全ての文字を、原則としてひとりのタイプデザイナーが書いていた。別の太さを作る場合は、LならL、BならBというように、ひとつひとつのウエイトを1年から数年かけて書いていった。
結果として、ひとつのデザインから派生した書体のグループが形成されていったわけだが、そうやってできあがったグループは、今日ではファミリーとは呼びにくい。

欧文書体のユニバースやヘルベチカのように、統一したデザイン・コンセプトに基づき、最初から各ウエイトを計画的に設計するファミリーとは、書体開発の方法論が異なっている。
和文書体は、欧文書体に比べて文字数がはるかに多く、全ウエイトを完成するのに大変な時間がかかる。計画的にファミリーを展開するには、このことが大きなネックになる。
何とかして、日本でもモダンなゴシック体の本格的なファミリーを実現できないか―1986年、モリサワで、そんな野心的な試みが始まった。
電算写植用の書体―デジタルフォントの草分けでもある―として、新しいゴシック体ファミリー、その名も「新ゴシック」のプロジェクトがスタートした。
コンセプト立案とディレクションを担当したのは、当時、モリサワの顧問を務めていたタイプディレクター小塚昌彦氏(毎日新聞社、モリサワ、アドビ システムズ社に勤務、現在、フリー)である。

イカルスシステムとファミリー化

新ゴの原図

新ゴシックの開発には、ひとつの画期的なテクノロジーが導入された。コンピュータで書体開発を行う、ドイツ・URW社のイカルスシステムだ。
このテクノロジーは、当初から本格的なファミリー展開を念頭に置いていた新ゴシックの開発に、大きなプラスとなった。
イカルスシステムでは、細いウエイトの文字と太いウエイトを作れば、アウトラインの中間値をコンピュータで計算して、中間のウエイトの文字を自動的に作成できる。

ツデイの原図
イカルスシステムでは、コンピュータに入力するためのアウトラインだけがあれば、文字データを作成できる。墨入れの手間がいらなくなったことも、開発期間の短縮につながった。

もちろん、中間値をとったからといって、必ずしもきれいなデザインに仕上がるわけではない。人間の目と手による微修正は不可欠だ。
しかし、新ゴシックが、最も細いウエイトから最も太いウエイトまで、きわめて統一したデザインを実現できたのは、イカルスシステムによるところが大きい。小塚氏は言う。
「初めてイカルスシステムを見たときから、これは文字数の多い和文書体のファミリー化に役立つ、と思っていたんです」。

システマチックな書体開発

新ゴシックの開発では、ヘン・ツクリなどの形・大きさにしたがって、漢字の構成要素を分類して、効率的なデータづくりを進めた。

書体開発のグループワーク化も、新ゴシックから本格的に始まった。
たとえば、同じ「にんべん」でも、「化」と、「働」では、ヘンの幅が異なる。
小塚氏は、まず漢字を新たにヘン・ツクリなどの形・大きさに従って分け、文字の分類表を作った。そして、サイズの異なるヘン・ツクリなどのパーツをデザインしていった。
この分類表とパーツを参照しながら、代表的な文字をチーフデザイナーが作成。それをモデルにデザイナー達が他の文字を作る、という開発手法を採った。
「新ゴシックは、当初から1ファミリーを2~3年で同時に商品化する計画でした。ひとりのデザイナーが、ひとつひとつ順番に文字を書いていく今までのやり方では、とても間に合わなかったんです」と、小塚氏は語る。
システマチックなプロセスと、イカルスシステムを活用したウエイト展開によって、新ゴシックは、短期間のうちに本格的ファミリーとして完成した。
1990年にはL~Uの6ウエイトを同時に発売。1991年にはELとRを発売した。それまでの書体開発では考えられないスピードだった。
1993年には、日本におけるDTPの普及を念頭にPSフォント化。このときに名称を現在の「新ゴ」へと改めている。

新ゴの“新しさ”

新ゴの各ウエイトを重ねてみると、ファミリーとして厳密に統一したデザインがなされていることがわかる。

新ゴには、画期的なところがいくつもある。
現在のモリサワでは、書体開発におけるコンピュータの活用、グループワークはごく普通のこととして行われている。新ゴはその端緒となった。
何より、最初から本格的なファミリーとして計画・開発された和文書体であることが大きい。
以前から欧米のグラフィックデザインで行われていたように、たとえば、目立たせたい見出しはH(ヘヴィ)で、本文はM(メジュウム)で、細かなキャプションはL(ライト)で、とウエイトを使い分ければ、ページ全体に統一感を持たせながら、読みやすさとリズム感を実現できる。
日本のグラフィックデザインという視点から見て、このことの意味は決して小さくないだろう。
次回は、新ゴのデザインを見聞する。

新ゴファミリー