95th Anniversary Lecture 自分の人生は自分で動かす 2019年5月 写真植字機発明95周年記念講演

写真提供/シーズアスリート

浦田 理恵

シーズアスリート所属
ロンドン2012パラリンピック
ゴールボール女子金メダリスト

熊本県生まれ、福岡市在住。
20歳の時に急激に視力が低下し現在左目の視力はなく、右目も視野が98%以上欠損しており強いコントラストのものしか判別できない。2003年 26歳でゴールボールに出会い、北京2008パラリンピック7位。
ロンドン2012パラリンピックでは、夏季・冬季あわせて日本史上初となる団体競技での金メダルを獲得し、厚生労働大臣賞、福岡県民スポーツ栄誉賞など数々の賞を受賞。リオデジャネイロ2016パラリンピックでは主将として活躍し、5位入賞。

向上心と努力を積み重ねた時に発展がある

講演の前に5Fショールームを見学した際、「モリサワ前社長の強い信念、世の中の期待に応える姿勢、一つのひらめきから作り出された写真植字機にスポーツとの共通点」を感じた。「視覚障害者に文字は読めないが、浮き出ている文字は触ることができる。文字を音声に変えて耳から情報を得ることもできる。力強いか、丸い可愛い文字か、文字の形や様子を伝えてもらうことで、よりイメージを掴みやすくなる。日々さまざまな方法で文字と接している」と語った。

相手を思いやる心、コミュニケーションの大切さ

ゴールボールは、試合をする上で大事なポイントが二つある。それは、「相手を思いやる心」と「コミュニケーション」。 「相手を思いやる心」、自分が出しやすいパスを出すのではなく、相手のことを一番に考え、相手が取りやすいパスを出す。 「コミュニケーション」、お互い見えないのでいつパスが来るかわからない。パスする方もパスを受ける方も声を出す。 自ら声を出しコミュニケーションを取らないと、パスは通らず試合は成り立たない。ゴールボールだけでなく、日常生活、職場などさまざまな場面でこの二つのことが大切だと感じている。
ゴールボールを始めて14年経つが、まだ目が見えていた学生の頃、実は体育の授業が大の苦手でスポーツの世界で金メダルを獲れるなんて夢にも思っていなかった。しかし、それ以上に驚いたこと、それは「まさか自分が視覚障害者になる」ということだった。ゴールボールと出会うまでに、大きな苦悩があった。

たった一つ残っていた、「伝える」という勇気

教員になるため福岡で暮らしていた20歳のころ、目が見えにくくなり、最初は軽く考えていたが症状は日増しに悪化、普通じゃないと感じ始めた。そのことを自分自身が受け止められず、誰にも話すことができなかった。引きこもりの生活は1年半に及んだ。どん底に追い込まれていくなか、たった一つ残っていた勇気を振り絞り22歳のお正月に久しぶりに実家に帰省し、目のことを両親に伝える決心をする。 博多から熊本まで電車に乗り、熊本駅の改札までやっとの思いで辿り着く。歩いてくる私の姿を見た母に声を掛けられたが、顔どころか姿も何も見えなかった。そのとき初めて、「もっと早く伝えていればよかった」と後悔する。 目が悪くなったことを伝えたが最初は信じてもらえず、母は「これ何本に見える?」と指を出した。その指を一本ずつ触りながら数える姿を見て、「本当に見えてないんだ、気付いてあげられなくてごめんね。」と駅の改札ということも構わず号泣する母に、やるせない気持ちでいっぱいになった。
しかし救われたこともあった。「やっと見えないことを伝えられた。もう見える振りをしなくていい、ありのままの自分で居ていいんだ」と、肩の荷が降りた。

写真提供/シーズアスリート

忘れていた感謝の気持ち

日常のすべてが当たり前になりすぎていたことに気付く。目が見えなくなって一人でどうしようもなくなったとき、どれだけ人に支えられ励まされているかが分かり、すべてに感謝の気持ちを持つことができた。 上手くいかずネガティブな感情を抱くことがある。しかしそのピンチは何かのメッセージで、もう一歩自分が成長するチャンスなのだとわかった。 最初から前向きになれたわけではなく八つ当たりもしたが、両親は私を甘やかすことなく「福岡で自分のできることを見つけなさい。やれるようになりなさい。」と自立を促し応援してくれた。私のことを一番に考えてくれた結果だと両親への感謝は尽きない。

自分の人生は自分で動かす

「自分の人生は、自分で考えて動かないと何も始まらない。」 点字を学び、白い杖を使い一人で歩けるようになるため、日常生活の訓練学校へ、その一歩を踏み出す。 訓練学校で多くのことを学んだ。見えなくなったことで勝手に限界を決めつけていた自分に気付き「工夫し練習する、そうすればできることを増やすことができる。ないなら自分で作り出せばいい」と思うようになった。 勝ち方や成功の仕方はひとつじゃない。さまざまな人の繋がりのなかで、どう頑張っても一人でできないこと、その時は助け合えばいい。助け合うからには自分も「相手にやってあげられる貢献ポイントが重要。」目が見えないからと何もしないのではなく、元気に挨拶、笑顔を向けるだけでも、相手を気持ちよくさせられる。

ゴールボールとの出会い

2004年アテネパラリンピック、ゴールボール女子チームが銅メダルを獲得した試合をテレビで観戦、見えない人が球技をやっていることに衝撃を受ける。世界の舞台で自分自身を全身で表現している姿に感動し「私もこんな風に輝いてみたい」と思った。ここが「運命の分かれ道」だった。できるかどうかわからないけれど一歩踏み出すのか、自分には無理と終わらせてしまうのか。私は直感で行動に移しコーチの元へ。体も細く体力の無さを指摘されたが熱意が伝わりチームへ加入できた。だが、練習はきつく、試合に出ても最初はミスが多かった。しかし先輩達は声を掛け懸命にカバーしてくれた。 視覚障害者は目で見て練習ができない。先輩がさまざまなフォームを取ってくれ、それを触り体得していく。時間の掛かる練習に、先輩は汗を流し付き合ってくれた。チームメイトとして認めてくれている嬉しさを感じた。

諦めなければ、そこにあるのは成長か成功しかない

ゴールボールを初めて約14年、学びは多い。「上手くいったときは皆のお陰、ミスをしたときは必ず自分に矛先を向けて考える」「環境や人のせいにしない、上手くいくために自分はもっと何ができただろうか」と考える。仲間のミスや失点で負けた時に、自分のところで失点しなくてよかった、と思うような選手が一人でもいたら日本は勝てない。 代表選考ではチームメイトもライバルになる。少し前までは自分が一番でいたいため、仲間がミスすればいいのにと考えることもあった。しかし、仲間のミスを願うと自分がミスをする。「自分の思ったこと、言葉にしたことは必ず自分に返ってくる。」それを繰り返し、やっと本質が見えた。今は自分が一番になるためではなく、チームが勝つため「もっと高みを目指すため」と考えている。 ベテランとなったいま、「チームにおける存在意義」を自覚、チームでやれることにとても幸せを感じ「このチームで2020年は金メダルを獲れる」と信じている。 出会いにも意義と意味を見出し、無駄なことは一つもないとわかった。今日のこの出会いも、代表選考が掛かるスウェーデン遠征への力に変え「皆様からの応援を受け、思いっきりプレイしたい」と語る。

写真提供/シーズアスリート

視覚障害者の次の一歩のために、金メダルを誓う

東京2020大会は日本で開催されることに意味があるのではなく、そのあとに続く「未来のため大きな起爆剤」としてこの大会はある。2020年、金メダルを獲る。「結果があるとたくさんの人に観てもらえるチャンスが増え、それを観た次世代の視覚障害者の人たちが自分もやってみよう、頑張ってみようという次の一歩に繋がる。それは本当に価値の高いこと。私たち選手は全力のプレイで、この東京2020大会を盛り上げて行きたい。」と述べ、大きな拍手が起こり講演は幕を閉じた。