第五回 はるひ学園
ユーモラスで温かみのあるオリジナル書体
モリサワのオリジナル書体「はるひ学園」は、1999年の第6回国際タイプフェイスコンテスト モリサワ賞の金賞受賞作「学園」をベースに開発された(2007年、OpenTypeフォントをリリース)。
モリサワ賞は1984年から2002年まで3年ごとに開催され、受賞作には、その後、製品として世に出た書体も少なくない。
作者の七種泰史(さいくさ・やすし)氏は、グラフィックデザイン出身の気鋭のタイプデザイナー。どこかユーモラスな味わいのある独特な書体を世に送り出している。
小さいときからなぜか文字に興味を覚え、小学生の頃は明朝体を真似て書くのが趣味。中学では同級生達の注文(?)に応えて、せっせと名札の文字をレタリングしていたという。長じてグラフィックデザイナーとなってからは、数々の個性的なロゴタイプを手がけてきた。
はるひ学園は、そうした作者の文字に対する愛情と素養、そして人間味あふれる温かさが表れた書体だ。
デコボコでもまとまる学園のイメージ
「書体を作るとき、僕はネーミングから入るんですよ」と七種氏は語る。書体の名前を先に考え、そのイメージに近づけるように作っていくという。
はるひ学園の場合は、「『学園』って、頭のいい人、面白い人、大人びた人、可愛らしい人……いろんな人がいて、デコボコですよね。でも、学園祭とか体育祭になると、一緒になってひとつのことをやり遂げる。そういうデコボコだけど、組んだときにどこか美しさがある書体を作れないかな、と考えたんです」。
ちょっとアンバランスなように見えて、全体に独特の明るい空気が漂う。軽快で、リズミカルな楽しさがある。はるひ学園はそんな書体だ。
ちなみに、「はるひ」は七種氏が書などで使う号「春陽(しゅんよう)」の訓読みから来ている。
楽な心地を生む空間
はるひ学園の特徴のひとつは、文字にたっぷりと空間をとっていることだ。
あちこちの画と画の接点にアキがあり、よく見ると、ヘンとツクリの間、カンムリの下、文字の左右などに大きく空間がとってある。
七種さんが目指したもの、それは人を楽な気持ちにする、いい意味でゆるい感覚だった。
「緊張感のある書体は、すでに素晴らしいものがいっぱいありますからね(笑)。文字って、四角い枠の中に画をきっちり収めると整然と美しく見える。その逆の発想で、空間をアケることで力をふっと抜いたような感じを出せると考えたんです」。
文字の中、あるいは左右にどのくらい空間をアケると、いい感じの力の抜け具合になるか。はるひ学園は、一見、ペン字のようにさっさっと書いたように見えて、文字ごとにどう空間をとるか、ひとつひとつ丁寧に考えられている。
力を抜いた画
個々のパーツに目を移すと、縦画、横画は直線が基本。ひらがなにも直線を多く取り入れてあり、人それぞれが持つ個性や“こだわり”のようなものを感じさせる。
ハライは横長のゆるいカーブが特徴的で、ペンで、ピッ、と書いたような、短くて直線に近いものもある。七種氏によると、強いカーブにすると緊張感のあるシャープな文字になってしまうからだという。はるひ学園は、カーブをゆるめることにより、楽な、力を抜いた感覚を生んでいる。
「貝」のような文字は、左右のハライ方を同じにし、さらにアシの上に大きく均等に空間をとることで、左右対称で水平な文字と感じさせている。
「筆で書く楷書や行書って、右上がりにするとカッコいいんですよね。見る人に線をぐっと引っ張る力を感じさせます。逆に右下がりになると力を感じさせない。はるひ学園は力の入らない文字にしたいわけだから、右下がりとは言わないまでも、水平な、真正面から見たような文字にしました。そのことは、かなり意識したかな」。
また、画の交点に墨だまりをつけていることも特徴だ。「デジタルの文字って、どうしてもシャープに見えてしまう。墨だまりをつけることで、写植の頃の文字のにじんだやわらかさを出したかったんです」。
文字の個性、書体の個性
もっとも、文字ひとつひとつを見ていくと、厳格な決まりを設けて形を統一しているわけではなく、大きなルールのもとでそれぞれの文字ならではの形の面白さを追求しているのがわかる。
文字それぞれの形が面白く、人間味があるから、大きく扱うと活き活きした感覚と優しさが表れる。長めに組むと、文字ひとつひとつが躍るような楽しさを感じさせる。まさにいろんな生徒達がいる学園のイメージだ。
原字の制作は、七種氏のディレクションのもと、七種氏とモリサワ文研の協同で行われた。ちょっと他に類を見ないユニークな書体だけに、モリサワ文研にとってもチャレンジだったようだ。七種氏は、こんなエピソードを教えてくれた。
「モリサワ文研の担当の方から言われました。『机の引き出しに七種さんの写真が入れてあって、毎朝、それを見てから書き始めるんですよ』、って(笑)。まず、こういう文字を書く人間の気分になるところから始めたのかな?」
崩すところから生まれる人間味
デザインするにあたって、七種氏には独特のスタンスがあった。
「僕もいい明朝体を見ると、やっぱり、よくできてるなあ、素晴らしいなあ、と思うんですよ。でも、グラフィックデザインから文字の世界に入ってきた人間としては、そういうものをあえて崩してみたいという気持ちもありました。文字の気持ちいい崩し方を見つけたい、というか」。
日本を代表するアートディレクターの故・田中一光氏は、モリサワ賞の選評で「学園」について、「俳人であり、書家でもある良寛の書のような、心暖まるフィーリングをもっている素晴らしい作品です」と述べている。
良寛の書を念頭に置いて作ったわけではないですが、と前置きしたうえで、七種氏は言う。
「良寛さんの書って、割と右下がりが多くて、ゆるい文字なんですよね。当時、硬い書が基本とされるなかで、あのふわーっと空気が抜けたみたいな感覚が好かれたんじゃないかな。みんな、なんか好きになるんですよね、良寛さんの字って」。
きっちり書かれた完成度の高い文字がある一方で、ふっと力を抜いた文字が人を惹きつける。ちょっと崩れた感覚のものに温かな人間味を覚える。
はるひ学園は、そんな文字と人間の関わりの面白さをかいま見せてくれる書体でもある。